河原崎しづ江
日本の女優(1908−2002)
河原崎 しづ江(かわらざき しづえ、1908年1月25日 - 2002年1月1日)は、日本の女優。初期の芸名は山岸 静江(後に山岸 しづ江)など。しづ江をしず江と表記することもある。
かわらざき しづえ 河原崎 しづ江 | |
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1947年 | |
別名義 |
河原崎 しず江 山岸 しず江 山岸 しづ江 山岸 静江 |
生年月日 | 1908年1月25日 |
没年月日 | 2002年1月1日(93歳没) |
出生地 | 日本・東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区) |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画・テレビドラマ・舞台 |
配偶者 |
大河内信威 河原崎長十郎(1936年 - ) |
著名な家族 |
妹:山岸美代子(岩下志麻の母) 長男:河原崎長一郎 次男:河原崎次郎 三男:河原崎建三 |
主な作品 | |
『人情紙風船』 |
略歴・人物
編集石川県出身[1]。1923年、帝国劇場附属技芸学校(帝国女優養成所)の7期生として卒業。同期に飯島綾子らがいる。子爵家の長男大河内信威と結婚し、男児・信具を儲ける[1]。1931年、前進座の創設に参加し、山岸しづ江の芸名で舞台に立った他、1933年以降は前進座がユニット出演した映画に出演した。1932年に夫の信威が共産党事件で逮捕される[1]。
信威とは離婚し、1936年、前進座座員の河原崎長十郎と結婚。1949年、日本民主主義文化連盟の雑誌「働く婦人」に「私の歩いた道」を寄稿[2]。1968年、劇団を離れ、数本の映画やテレビドラマに出演。1971年公開の映画『儀式』が最後の出演作となった。
出演映画
編集- 段七しぐれ(1933年、大日本自由映画プロ)
- 街の入墨者(1935年、日活) - おきち
- 清水次郎長(1935年、太秦発声) - お六
- 河内山宗俊(1936年、日活) - お静
- 股旅千一夜(1936年、日活)
- 戦国群盗伝(1937年、P.C.L) - 田鶴
- 人情紙風船(1937年、P.C.L) - おたき
- 阿部一族(1938年、東宝) - 登枝
- 逢魔の辻 江戸の巻(1938年、東宝映画東京=前進座) - おたみ
- 幡随院長兵衛(1940年、南旺映画=前進座) - お金
- 元禄忠臣蔵 前篇(1941年、松竹) - 大石妻おりく
- どっこい生きてる(1951年、新星映画社) - 妻・さと
- 箱根風雲録(1952年、新星映画社)
- ひろしま(1953年、日教組) - 遠藤よし子
- 蟹工船(1953年、現代ぷろだくしょん) - 母親
- 美女と怪龍(1955年、東映) - 滝野
- 心中天網島(1969年、ATG) - 叔母
- 儀式(1971年、ATG) - 桜田富子
エピソード
編集しづ江は、河原崎長十郎と結婚する前、理化学研究所第3代所長・理研産業団創始者で貴族院議員を務めた大河内正敏の長男・大河内信威(日本プロレタリア科学同盟の書記長)の妻であったが、信威が獄中にいる時、河原崎長十郎と結婚することになった[3]。
家族
編集長十郎との間に生まれた子は、長男・次男・三男が俳優の河原崎長一郎・河原崎次郎・河原崎建三兄弟である。しづ江の妹の山岸美代子も女優であり、その娘(しづ江の姪)は女優の岩下志麻である。
脚注
編集- ^ a b c 再生共産党事件の主なるシンパサイザー時事新報 1931.5.21 (昭和6)
- ^ 占領期の女性雑誌シリーズ(2)「働く婦人」総目次 26号(1949年9月1日)
- ^ 「関 鑑子」伝 (青地 晨)