水崎格
水崎 格(みずさき いたる[1]、1890年(明治23年)5月8日[1][2] - 1969年(昭和44年)[要出典])は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。新竹市長。旧姓は高木[1]。
経歴・人物
編集長野県松本市に生まれる[2]。本籍は新潟県高田市[2]。早稲田中学校を経て、1912年(明治45年)5月、陸軍経理学校を卒業する[2]。同年7月、陸軍主計候補生となり、同12月、歩兵第55連隊に入隊、1912年(大正元年)12月、陸軍三等主計に任ぜられ、1915年(大正4年)予備役に編入した[2]。
1920年(大正9年)4月、第9師団留守経理部勤務、浦塩派遣軍倉庫勤務を経て、1923年(大正12年)台湾総督府財務局主計課勤務に転じる[2]。台北州郡属、府属を経て、1936年(昭和11年)12月、地方理事官に進み、高雄州恒春郡守に就任[1]。ついで1939年(昭和14年)1月、台北州新荘郡守に転じ、1942年(昭和17年)8月、新竹州苗栗郡守に就任した[1]。のち、新竹市長を務めた[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 太田肥州 編『新台湾を支配する人物と産業史』台湾評論社、1940年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年 。