比志島義時

江戸時代初期の薩摩藩の武士 (1621-1693)

比志島 義時(ひしじま よしとき)は、江戸時代初期の薩摩藩武士。比志島監物範員と相良勘解由頼豊の娘との子。比志島氏の嫡流である。

 
比志島 義時
時代 江戸時代初期
生誕 元和7年11月14日1621年12月26日
死没 元禄6年1月17日1693年2月21日
改名 :義時
別名 通称:彦太郎、左京、彦右衛門、孫右衛門
幕府 江戸幕府
薩摩藩
氏族 清和源氏義広流志田氏比志島氏(実際は大蔵氏
父母 父:比志島監物範員、母:相良勘解由頼豊の娘
有川十右衛門貞安の娘
範武
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「無役之移地頭」である甑島地頭や「掛持地頭」としては馬関田郷地頭や水引郷地頭、須木郷地頭を勤める。孫娘は示現流剣術師範の東郷実満の嫁で、東郷位照は曾孫にあたる。また、孫の養子比志島範房は薩摩藩家老

子・孫

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  • 子:一男のみ。
    • 比志島範武(父の死去の翌年に死去する。妻は樺山久清の娘)
  • 孫:一男二女
    • 野村監物元長の妻(延宝3年(1676年)3月1日生まれ、後に離別)
    • 東郷実満の妻(延宝5年(1678年)生まれ)
    • 比志島義頼(天和元年(1681年)生まれ)

参考文献

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  • 『諸郷地頭系図』
  • 「平姓東郷氏支族系図」