武田竹松
武田 竹松(たけだ たけまつ)は、戦国時代の人物。甲斐国武田氏の一族。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 永正14年(1517年) |
死没 | 大永3年11月1日(1523年12月7日) |
戒名 | 源澄院殿天誉尊体智光大童子 |
墓所 | 尊体寺 |
幕府 | 室町幕府 |
氏族 | 武田氏(甲斐源氏) |
父母 | 父:武田信虎 |
兄弟 |
竹松、信玄、犬千代、信繁、信基(信友?)、信廉、信顕、一条信龍、宗智、松尾信是、 河窪信実、信友、勝虎、定恵院、 南松院殿(穴山信友正室)、禰々、 花光院(浦野氏室)、 亀御料人(大井信為正室)、下条信氏正室、禰津神平(元直の長男)室、葛山氏室、 菊御料人(菊亭晴季室) |
生涯
編集武田信虎の長男。信玄の4歳年上の兄である。大永3年(1523年)11月1日に7歳で夭折した[1]。戒名は源澄院殿天誉尊体智光大童子(『甲府誓願寺記』)。菩提寺として躑躅ヶ崎館前に尊体寺が建立された[1]。
信玄は長男とされているが実際には次男であり、この竹松の早世により長男扱いの嫡子となった可能性があり、出生当初は嫡子ではなかったことになる[1]。