武州銀行
武州銀行(ぶしゅうぎんこう)は、大正7年(1918年)11月に埼玉県北足立郡浦和町(のちの浦和市)に設立された銀行。本店のあった場所(さいたま市浦和区高砂2-9)には現在埼玉りそな銀行浦和中央支店がある。
沿革
編集設立当時の埼玉県には有力な地場銀行が少なく、小規模の銀行が乱立した上に東京府内の銀行が少なからず県内の金融を賄っているのが実情だった。このため地場資本による県内金融の中核銀行として県主導で設立を企図、県の有力者200名が発起して資本金500万円で浦和町高砂に設立された。開業は翌年の1月。初代頭取は、渋沢栄一の甥の尾高次郎。同じく栄一の甥の大川平三郎も頭取を務めた。尾高は子沢山で、大川に鉄雄を養子に出している。鉄雄は山陽パルプ社長と日本フェルト工業(現・日本毛織)の社長を務めた。
大正9年(1920年)には粕壁銀行と、大正10年には川越商業銀行と、大正11年には豊岡町(現入間市)の黒須銀行と合併するなど合併を繰り返し拡大した。
昭和18年(1943年)7月、戦時統制で、当行と、川越市に本店を構える旧国立銀行の八十五銀行、忍町(現在の行田市)に本店を構える忍商業銀行、飯能町(現在の飯能市)に本店を構える飯能銀行が大合併し、埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)となり、武州銀行は消滅した。
幼少期を川越で過ごした澁澤龍彦は、父親が武州銀行川越支店長だった。
2018年11月、武州銀行100周年を祝い、浦和中央支店とさいたま営業部の創立100周年記念式典が行われた。さいたま市長など関係者約200人が出席した。