正宗龍統(しょうじゅうりゅうとう、正長元年〈1428年〉 - 明応7年1月23日1498年2月14日〉)は、室町時代後期の臨済宗黄龍派の禅僧。山城国出身。父は東益之。兄に東氏数東常縁がいる。別号に蕭庵。

正宗龍統
正長元年 - 明応7年1月23日 享年71
1428年 - 1498年2月14日
上段・旧暦 下段・グレゴリオ暦換算
法名 正宗
蕭庵(しょうあん)
禿尾(とくび)
院号 霊泉院
龍統
尊称 霊泉和尚
生地 山城国
宗旨 臨済宗
宗派 黄龍派
寺院 木蛇寺
建仁寺
南禅寺
瑞岩龍惺
江西龍派(伯父)
慕哲龍攀(叔父)
希世霊彦
瑞渓周鳳
弟子 常庵龍崇
牡丹花肖柏
著作 『先人故宅花石記』
『故左金吾兼野州太守平公墳記』『禿尾長柄帚』
『禿尾鉄苕帚』
『江戸城静勝軒詩序并江亭記等写』
『木蛇寺殿墳記』
テンプレートを表示

来歴

編集

建仁寺霊源院の瑞岩龍惺に預けられ[1]、龍惺や伯父の江西龍派、叔父の慕哲龍攀などに師事する。希世霊彦に四六文の伝授を受け、瑞厳、江西、瑞渓周鳳、太虚梵仝などから教えを受けた[1]1477年文明9年)から翌年にかけて、宗祇の種玉庵で三体詩の講釈を行い、三条西実隆も同席している[2]1480年(文明12年)建仁寺の住職となり、輪番制に基づいて1498年(延徳4年)まで七往した[1]。1488年(長享2年)、南禅寺寺坐公文を受け[1]足利義政預修三十三回忌陞座仏事を担当[1]。1498年(明応7年)、71歳で没[1]

著書に『禿尾長柄帚』『禿尾鉄苕帚』などがある[1]。瑞厳の蔵書を受け継ぎ、後に細川満元の支援を受けたことで一大蔵書家となり、書庫として秘密蔵を建てた[1]

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f g h 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第3巻』岩波書店、1984年10月、349頁。 
  2. ^ 『実隆公記』文明9年10月26日・12月16日・同10年3月3日条[要文献特定詳細情報]

参考文献

編集
  • 今泉淑夫「正宗竜統」(『 鎌倉・室町人名事典』(新人物往来社)、293頁)
  • 今泉淑夫「正宗龍統」(『国史大辞典』)