橋本久太郎
橋本 久太郎(はしもと ひさたろう、安政2年1月16日[1][2](1855年3月4日) - 大正15年(1926年)11月23日[2][3][注 1])は、日本の衆議院議員(立憲改進党→進歩党→憲政党→憲政本党→立憲政友会[4])。
経歴
編集阿波国板野郡川内村(現在の徳島県徳島市)出身。徳島藩校(長久館)と阿部明誠塾で漢学を学んだ後、明治7年(1874年)に東京に出て、共慣義塾と慶應義塾で洋学を学んだ[5]。明治13年(1880年)に卒業して故郷に帰り、翌年、県会議員に選出された。県会議員在任中に町村連合会議員、教育会評議員、衛生会評議員などを歴任した[4]。
明治23年(1890年)の第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後10回連続当選を果たし、23年にわたって在職した。大正元年(1912年)に東京市麹町区長に任命され、大正10年(1921年)まで務めた[1]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『阿波人物鑑』469頁では1月23日。
出典
編集参考文献
編集- 『徳島県歴史人物鑑』徳島新聞社、1994年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『御大典記念 阿波人物鑑』徳島日日新報社、1928年。
- 三田商業研究会『慶応義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年。
- 山崎謙『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。