横江嘉純
日本の彫刻家
横江 嘉純(よこえ よしずみ、1887年(明治20年)5月 - 1962年(昭和37年)2月14日)は、日本の彫刻家。塑像を得意とし、木彫、大理石像、洋画も遺した。
略歴
編集富山県保内村に出生。祖父も父も、同村の村長だった。小学校高等科を卒業後、絵画家を志すも挫折し、彫刻家に憧れる。京都の常楽寺で書生をしながら美術学校に学んだ。学校を特待生として1906年(明治39年)3月に卒業。
その後、徴兵のため3年間入隊。兵役終了後東京美術学校(現東京芸術大学)へ入学し、1914年(大正3年)に彫刻科を卒業。結婚して一男一女をもうけたが、長女が夭逝し、続いて母、長兄、妻をも亡くした(長男も1941年(昭和16年)に死去)。日本のシンセサイザー・プログラマー神谷重徳は孫にあたる[1]
数々の美術展で入選する。1929年(昭和4年)には帝展審査員に任ぜられ、死去するまでこれを務めた。1930年(昭和5年)から2年間、研究のためフランス、イタリアに渡欧したこともあった。
1952年(昭和27年)には功績が評価され、日展参事となる。1962年(昭和37年)、75歳で死去。
主な作品
編集- 「宇宙の聲」(富山市指定文化財)
- 「祈りの像」(広島平和記念公園に設置)
- 「愛の像(アガペの像)」(東京駅前広場に設置)
- 「愛の像」(青山学院大学間島記念館内に設置)
受賞歴
編集- 第12回文展で塑像「山番」が入選(1918年)
- 第8回帝展で塑像「大乗」が美術院賞(1927年)
- 第7回帝展で塑像「望洋」が特選(1940年)
- 大理石像「娘」で文部大臣賞(1951年)
脚注
編集- ^ 『電子音楽インジャパン1955~1981』P 259。田中雄二、1998年、株式会社アスキー