榊原信行
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 (2022年10月) |
榊原 信行(さかきばら のぶゆき、1963年11月18日 - )は、日本の実業家。愛知県半田市出身。元ドリームステージエンターテインメント (DSE) 代表取締役で、株式会社うぼん、株式会社沖縄ドリームファクトリー代表取締役。2023年2月現在は、RIZIN FIGHTING FEDERATIONの運営を行う株式会社ドリームファクトリーワールドワイドの代表取締役社長も務めている[1]。
さかきばら のぶゆき 榊原 信行 | |
---|---|
2019年撮影。 RIZIN.14におけるインタビューにて。 | |
生誕 |
1963年11月18日(61歳) 日本・愛知県半田市 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 愛知大学 |
職業 | 実業家 |
肩書き |
|
取締役会 | 同上 |
来歴
編集1987年に愛知大学を卒業し、東海テレビ放送の子会社でイベント事業を行う東海テレビ事業株式会社へ入社。1997年から始まった「PRIDE」では、1998年までPRIDEを組織していたKRS(格闘技レボリューション・スピリッツ)の設立当初から関与していた。
2003年、PRIDEを組織していたDSEの代表取締役社長であった森下直人の死去を受け、DSEの代表取締役に就任。
2004年には映像事業を行うドリームステージピクチャーズを設立し、社長を兼務。同社の映画製作にも、製作総指揮として直接関わり、時代劇と格闘技を融合させた異色作「殴者 NAGURIMONO」や、カーリングを題材にした映画「シムソンズ」を手がける。また、この年、プロレスイベント「ハッスル」を立ち上げる。
2007年3月27日、UFCを主催するズッファのオーナーであるロレンゾ・フェティータにPRIDEの経営権を売却[2]。
2007年12月19日には、新たに設立した株式会社沖縄ドリームファクトリーを通じて、日本フットボールリーグ(JFL)所属の沖縄のプロサッカークラブ、「FC琉球」の運営に参画。また、榊原のサッカーや沖縄に対する理念に理解・共感した元サッカー日本代表監督のフィリップ・トルシエが、FC琉球の総監督に就任し、2008年より共にJリーグを目指すこととなった[3]。
2009年12月、FC琉球の営業権が株式会社沖縄ドリームファクトリーに移管、球団代表に就任。
2009年から2013年までJFL(日本フットボールリーグ)の理事として参加した。
2014年シーズンからのJ3リーグ設立に伴い、2013年9月1日、FC琉球の運営を株式会社沖縄ドリームファクトリーから、サッカー事業に特化した琉球フットボールクラブ株式会社に移管させ、球団代表を退く。
2015年10月に格闘技イベント「RIZIN」を立ち上げ、実行委員長に就任[4][5]。
2023年7月27日、初の自叙伝『負ける勇気を持って勝ちに行け! 雷神の言霊』を刊行。
脚注
編集- ^ “RIZIN・ランドマークの海外開催計画「日本だけ世界から置いていかれる」と懸念”. デイリースポーツ online (2022年2月2日). 2022年2月3日閲覧。
- ^ [PRIDE]UFCオーナーのロレンゾ・フェティータ氏がPRIDEの全権掌握 バウトレビュー 2007年3月27日
- ^ 那覇経済新聞 FC琉球にトルシエ総監督-総合格闘プロデュース・榊原信行さんも協力 2007年12月20日
- ^ 大みそか格闘技イベント復活 ヒョードル、桜庭、青木ら参戦 - 東京スポーツ・2015年10月8日
- ^ PRIDEの熱を再び作り出す「RIZIN」が始動ヒョードル参戦!桜庭vs.青木が決定 2015年10月8日
書籍
編集『負ける勇気を持って勝ちに行け! 雷神の言霊』(2023年7月27日、KADOKAWA、ISBN 978-4046060600)
関連項目
編集外部リンク
編集- 株式会社うぼんコーポレートサイト
- NOBUYUKI SAKAKIBARA (@nobu_sakakibara) - X(旧Twitter)
- NOBUYUKI SAKAKIBARA (@nobu_sakakibara) - Instagram