楊輝
楊 輝(よう き、拼音:Yáng Huī)は、南宋の数学者。字は謙光[1]。杭州銭塘県の人。
南宋末期(13世紀)は中国の歴史上、数学が最も発達を遂げた時代ともいわれ、秦九韶・李冶・朱世傑と共に、彼の名前が挙げられることがある[2]。
著書
編集著した数学書は15種・21巻にのぼるという[3]。
以下のうち、詳解九章算法を除く4つ[注 1]の著書がまとめられ、遅くとも1378年(楊輝の没後)[2]には『楊輝算法[4]』として発行されたといわれている[1]。後に日本にも入ってきて当時の一部もしくは多数の和算家たちに影響を与えたとも考えられている。
- 詳解九章算法(12巻、1261年)
- 日用算法(2巻、1262年)
- 乗除通変本末(3巻、1272年)
- 田畝比類乗除捷法(2巻、1275年)
- 続古摘奇算法(2巻、1275年)
脚注
編集- 出典
- ^ a b 「和算の事典」 5.4 和算と外国数学の関係 p.322 (朝倉書店、2009年)
- ^ a b 紹興の文芸─南宋の芸術と文化特展_文化の振興 - 国立故宮博物院歡迎頁
- ^ 「ブリタニカ国際大百科事典 小項目版」
- ^ ようきさんぽう【楊輝算法 Yáng huī suàn fǎ】 - コトバンク(世界大百科事典 第2版の解)
- 注
- ^ 日用算法をも含めず3つから、という説もある。
外部リンク
編集- 日中の方程論再考 -『楊輝算法』と『古今算法記』 城地 茂
- 城地茂「『楊輝算法』伝説再考 (数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1317巻、京都大学数理解析研究所、2003年5月、71-79頁、CRID 1050282676667095808、hdl:2433/43005、ISSN 1880-2818。
- 城地茂「中田高寛写・石黒信由蔵『楊輝算法』について (数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1392巻、京都大学数理解析研究所、2004年9月、46-59頁、CRID 1050282677085254144、hdl:2433/25858、ISSN 1880-2818。
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 十五世紀の朝鮮刊銅活字版数学書
- 和算史の研究 I