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棒銀(ぼうぎん、: Climbing Silver)は、将棋戦法の一つ。銀将を棒のようにまっすぐ進めて攻めることからこの名が付いた。

総じて速攻性に優れ、1から4筋を絡めると侮れない破壊力を持つが、狙いが単純で受けの対策を立てやすい。また中盤の捌き合いの後に銀が残ってしまうことがよくあり、不利を招きやすい。かつては「比較的覚えやすい戦法」として、初心者向けの将棋解説本によく手順が掲載されていた。しかし先述の欠点もあり、真に使いこなして勝率を上げるのは意外に難しい戦法である。

なお、振り飛車で棒銀を行う作戦のことを逆棒銀(ぎゃくぼうぎん)という場合がある。

プロの対局でもしばしば現れ、加藤一二三木村一基渡辺明飯塚祐紀らは振り飛車に対する棒銀戦法を得意としている。

概説

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非常に歴史の古い戦法であり、一説には既に初代名人大橋宗桂の将棋において類似の形が見られる。

記録では、伊藤宗看・松本紹尊三十番将棋で多く指されていることが知られる。日本将棋大系第二巻の丸田祐三『初代 伊藤宗看』(1978年・筑摩書房)をみると、三十番将棋の第十四番、先手伊藤宗看対後手松本紹尊戦(寛永14年(1637年)4月)で、中盤に後手の松本が銀冠に構えたが、相懸かりの出だしから両者棒銀にしている[1]

「棒銀」の名称は、1894年(明治27年)に、飯万島竜水によって其中堂から出版された『新案定跡高等将棋秘訣』(坤と乾がある)に「平手(棒銀受)変化」という項目でみられる。1909年(明治42年)に校閲者関根金次郎で将棋新報社から刊行された『獨習速成 将棋定跡解 全』にも飛車落の下手方の戦法として「次に飛車の一例として「棒銀」と云ふのを出します」とし、棒銀で攻められた場合の、上手の応手として紹介されている。1917年に同氏が著した『将棋勝敗此の一手』に至っては「この二六銀を棒銀と申しまして素人の能く指す手…」、1916年(大正5年)土居市太郎の著した『将棊秘訣 陣立くづし法』にも「平手棒銀受」と、棒銀は棋書での解説はその受け方がもっぱらで、初心者や級位者が用いる奇襲作戦的な位置づけがなされていた。

また馬鹿銀なる名称でも呼ばれていたらしく、江戸時代の複数の定跡書を底本として編さんされた1916年発行『定跡奥義将棋秘伝』(1931年(昭和6年)に再刊)所収の『大橋家家元秘傳記』中の飛香落の項目が「飛香落馬鹿銀」として、「銀が棒に飛車の頭より上るを馬鹿銀と云ふ普通には無き法也」とあり、1952年に加藤治郎の著『筋違角棒銀戦法』にも、「棒銀なる名称は何時の時代に誰がつけたか知らないが、多分飛車と銀とが一線に並んだ形が棒状に見えるところからきたのだろう。」としている。

対居飛車棒銀

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原始棒銀

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飛車先の歩を伸ばし、銀を繰り出す戦法を原始棒銀や単純棒銀と呼ぶ。初心者向きと言われるが、「相手の受け」を知らないと単純に攻めていっても攻めが簡単に潰されることがあり、低級者だと指しこなすのは難しいが、その戦術の狙いを覚えるのには適している。

△持ち駒 歩
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△持ち駒 歩
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△持ち駒 歩
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一般的な原始棒銀は第1-1a図のように飛車先交換型相掛かりで先手が引き飛車の形から右銀を進めて、第一の狙いである飛車先の突破を図る。図は後手△5四歩に▲2四歩と合わせた局面で、以下は△同歩▲同銀で突破に成功している。以下△3四歩としても▲2三銀不成とし、△4四角といった角を活用した反撃には▲3四銀成△2二角に▲2四歩で決まる(第1-1b図)。ここで▲2三成銀とつっこむのはまた△4四角で、△2七歩▲同飛△2六歩を狙われる。途中▲2三銀不成でなく▲2三銀成では△4四角▲2四成銀となるとやはり△2七歩▲同飛△2六歩が間に合う。また▲3四銀成のところを▲3二銀成では△同銀で、飛車が成り込むことなどはできず、突破の効果は半減する。

第1-1c図では後手△5四歩に替えて△8五飛と飛車をひとつ浮いた局面で、後手の飛車浮きは上記と同様の進行で▲3四銀成にすぐ△2七歩▲同飛△2六歩▲2八飛△2五飛を用意している。したがって、今度は▲3四銀成のところは▲3四銀不成から▲2四歩となる。

△持ち駒 歩
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△持ち駒 角歩
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一般的な原始棒銀に対する後手の対策としては、第1-2a図のように飛車は浮き飛車にして△3四歩を早めについて△3三角を用意する。これに先手が銀を▲2五まで進めてきたら、今度は図のように数の受けと銀ばさみの要領で対処することができる。図からは△3四歩▲2七銀△3三角▲2六銀△2二銀が受けの形。以下▲2五銀は、△8四飛▲2四歩△3五歩▲2三歩成△同銀で先手は攻めきれない。

図で先手▲7六歩にも△2二銀で、▲3三角成にも△同桂が銀にあたるしくみ。

△3三角-2二銀の局面は公式戦で1例だけあるが、さすがに▲2五銀ではなく、▲6八銀から持久戦になっている。

したがって原始棒銀側は第1-2b図のように銀を▲2六にとどめ、今度は1筋を突きあって棒銀第二の狙いである端攻めの敢行を狙う。▲3三角成に△同桂もしくは△同銀どちらでも▲1五歩△同歩▲同銀で、以下は下記の角換わり棒銀と同様の展開に移行することになる。

他に公式戦の実践例として、第1-3a図は昭和五十六年昇降級リーグ戦、先 (勝)土佐浩司桐谷広人戦において現われた局面で、先手の土佐が原始棒銀を採用。△6二銀が早いので、△3三角-2二銀ではなく、別の方向に進んでいく。

桐谷 △持ち駒 歩
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桐谷 △持ち駒 歩2
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第1-3a図より▲6九玉△4一玉▲6八銀△3一玉▲7九玉△5二金▲6六角△7四飛▲4六歩△1四歩▲4五歩△4二金右▲4四歩△同歩▲3六歩で、第1-3b図。後手に△3五歩と突かれて棒銀が立ち往生したかに見えるが、先手は▲6六角以下4筋の歩を伸ばし、後手の飛車の横効きを止めて▲3六歩と攻撃を開始する。後手陣の縮こまった形に比べ先手陣は伸び伸びし、後手を守勢に追い込んでいる。その後△6四歩▲3五歩△6五歩▲5五角△4三金直▲1六歩△6三銀▲1五歩△5四銀▲7七角△7六飛▲1四歩と進む。後手は△6四歩以下角を追うが、その間に先手は端に狙いをつけている。

作戦のわかりやすさという意味では原始中飛車と二分される。単純なようであるが受けを知らないとアッという間に潰されるのが原始棒銀の怖さである。

相掛かり棒銀

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戦型が相掛かりの時に用いられる棒銀は、飛車先を交換して引き飛車にした後、右銀を▲3八 - ▲2七 - ▲2六へ進めて2筋突破を狙いとするが、狙いが単純なために受けも容易。棒銀の変形として、▲2六銀ではなく▲3六銀と進め、後手の陣形を乱す指し方は有力で、1972年頃に宮坂幸雄が公式戦で指し始めたといわれる。そのため創始者の名前をとって「宮坂流」あるいは「UFO銀」などと呼ばれることがある。桐山清澄などが得意としている。

鈴木輝彦『将棋戦法小辞典』(1992年)によると、「プロの公式戦にも、この原始棒銀がときどき現れることがあります。」とし、「棒銀でひとつぶし、というよりも、駒組み勝ちをねらいにしています。今は亡き清野静男八段が得意にされていました[2]」としている。原始棒銀は▲2七から2六とくりだすが、清野のそれは▲2七から3六へ出る指し方で、相手に制約ある駒組を強制してこちらは作戦勝ちを狙うというのと、銀を中央に繰り出す作戦で用いていた。

この戦術は平成になってから上記の宮坂が相手に棒銀の受け方にある浮き飛車や3三角もしくは桂の構えを強要して、自身は矢倉に組んで主導権を握る「宮坂流」が有力戦法と化し、当時の若手棋士に多く用いられることとなる。そして1996年(平成8年)には棋聖戦第5局(最終局)で三浦弘行が採用し勝利、当時全タイトル独占していた(7冠王)羽生善治を破って一角を崩す原動力となる。

行方 △持ち駒 歩
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行方 △持ち駒 歩
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2-1図は第66期A級順位戦、先手佐藤康光二冠(当時)後手行方尚史八段。相掛かりから後手が△7四飛と縦歩取りを狙い、棒銀作戦に出た。 ▲2七銀以下△4四角▲3六銀△3三桂▲4六歩△5四歩▲5八金△6三銀▲4七銀△8五飛▲8六歩△8二飛▲8七銀(2-2図)と、銀冠への繰り替えを実現した。一方で後手も中央の位を張り、腰掛け銀に組み替えられるのを避けている。相掛かり棒銀においては、このように2筋から先攻するのでなく、△3三桂を強いて後手の陣形を限定させ、銀はその後中央へ組み替えることが多い。

藤井 △持ち駒 銀
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藤井 △持ち駒 なし
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豊島 △持ち駒 銀歩2
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相掛かり棒銀は2筋突破や陣形の不備を強要させるといった狙いの他には、棒銀側の銀と相手の守りの銀との銀交換がある。この交換は棒銀側のほうが攻撃の銀を手持ちにし、相手の守りの銀を1枚剥がしたということで有利とされており、実際に棒銀側を先手として持ち駒に銀歩があり、相手の陣が△2二角-2三歩-2一桂-1一香で1筋を付き合っている状態であると、▲1五歩から△同歩▲1三歩△同香に銀を1二に打つ、2一の桂取りと2三の飛車先突破の両方の狙いが生じるねらいなどがあるが[3]、棋戦などでこういったケースが生じるのはまれで、実践などでは銀交換のあとの棒銀側の展開は難しいことがある。例として、第49期棋王戦コナミグループ杯五番勝負第4局、先手伊藤匠後手藤井聡太戦では後手藤井が角換わり模様から豊島流村田システムに誘導すると、先手伊藤は棒銀を採用、第1-3c図のように銀交換から横歩を取る展開となるが、第1-3d図のように棒銀側が反撃を食らっている。豊島流の本家豊島将之も、SUNTORY将棋オールスター東西対抗戦2023 決勝戦 第1局で豊島流に誘導した際、先手の永瀬拓矢に棒銀を試みられている。この時も棒銀側は銀交換を得たが、第1-3e図のように被棒銀側の豊島に巧に陣を築かれて反撃を食らう恰好となっている。

角換わり棒銀

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戦型が角換わりの場合の棒銀は、相手が腰掛け銀の場合に有効な手段とされている。先手の場合、右銀を▲3八 - ▲2七 - ▲2六へと進め、1筋を絡めて攻める。ただし棒銀対策が進化している現在では、指されることは稀となっている。棒銀側の組み方の手順によって右四間飛車右玉早繰り銀などが有力な対策。加藤一二三は相居飛車においてこの戦型をよく用いる。

後手番一手損角換わりに対して先手が棒銀に出る対策も一時期よくみられた。

△持ち駒 角
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△持ち駒 角銀歩
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△持ち駒 歩
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第3-1図は1988年度(1989年1月)NHK杯テレビ将棋トーナメント、先手羽生善治五段後手加藤一二三九段。第3-1図以下、△1四歩▲1六歩△7三銀と後手は早繰り銀で対抗する。将来先手に▲6六角と打たれた時に▲8四香と打たれる手を消しており、銀の繰り替えには△6四銀から逆襲する手を見せる、基本的な対棒銀布陣。以下、▲1五歩△同歩▲同銀△同香▲同香(3-2図)。ここで後手には大別して△1六歩と垂らす手と△1三歩と受ける手がある。△1三歩と受ける手には▲1二歩と垂らす手が好手で先手が指せる。本局は△1六歩と垂らしたが、すぐに終盤に突入し先手が勝利した。この対局が中盤までそのまま定跡化され、△1六歩以下は▲1八歩△4四銀▲2四歩△1九角 ▲2七飛△2四歩▲2四同飛 △2三銀▲2六飛△3五銀に▲5六飛と飛車を回ったとき(第3-3図)、後手は飛車成を受けずに△2八角成と指す手順が後手も指せる定跡とされている。以下▲5三飛成に△5二歩▲5六龍△2九馬 ▲2七香△6二玉▲6八玉などで一局。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 銀歩
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第3-1図に戻って、△1四歩に変えて△7三銀とする手も多く指され、この意味は▲1五銀と出させて銀交換を誘い、そこで△5四角や△4二角と打ち、棒銀を受けるのが狙いとなっている。△4二角は木村義雄第14世名人創案の手で、先手の銀が1五にずっといると、後手の3三の銀が動いたときに角が当たる仕組み。

一方で△5四角の場合▲2四歩なら△同歩▲同銀に△2七歩を用意している。従って、△5四角に▲3八角(升田流)や▲2六飛(大友流)と、いったんその筋に備えるのが定跡手順としてある。

第3-4図はその▲3八角としたときの例で、後手はここから△4四歩という、5四角と連動した受けがある。△4四歩は2一の桂に紐をつけている意味があり、▲2四歩から△同歩▲同銀と駒を清算したあとに△3三金とする手(第3-5図)で対抗が可能(▲2四歩△同歩▲同銀に△2七歩は、以下▲同角△2四銀▲5四角がある)。以下▲2八飛は△2七歩▲同飛(同角は△2二飛)△同角成▲同角、▲2五飛には△2四銀▲2八飛△2二飛▲6六銀かもしくは△2四歩▲2八飛(▲2六飛もある)△2二飛▲2六歩△4五歩▲6六銀などが一つの進行。また△4四歩から先手は▲6八玉として△1四歩を待って▲2四歩も幾度か指されていた。以下の途中進行で後手が△1四歩を活かして△1三桂としてくることを先手誘っており、こうすることで▲2六飛~▲5六飛~▲2七角の順を狙っている(後手5四の角が動くと▲5三飛成のとき、後手3三の金が浮いていて十字飛車となっている)。

ほかに後手は第3-4図の後の△4四歩に変えて△2二銀とする手もある。これは以下▲2四歩△同歩▲同銀△2三歩▲1五銀と先手をおちつかせてから後手は先に△6四銀~△7五歩と攻める狙いをみている。

▲2六飛に後手の応手は△2二銀と△4四銀の二つの防御手段が考えられる。△2二銀には▲2四歩△同歩▲6六角(▲2四同銀は△2三歩▲1五銀△1四歩となる)△3三桂▲2四銀△2三歩と進み、次に▲3三角成の強手がある。以下△同銀は▲2三銀成、△同金は▲同銀成である。 △4四銀には一旦▲3六歩と突く。この時▲2四歩を急ぐと、△3五銀▲2五飛△3三桂▲2八飛△2四歩▲同銀△2七歩がある。▲3六歩以下は△3五歩で▲同歩なら△同銀として棒銀側の飛車をいじめる手を狙ってくる。したがって△3五歩に▲2四歩△同歩▲同銀△2五歩▲2八飛△3六角▲3八金△6四銀▲3七金△5四角▲2五飛などの手がみられる。▲2八飛でなく▲2五同飛であると△3六角▲2八飛△2六歩▲同飛(▲3八金なら△2七歩成▲同金△4七角成)△4七角成▲3三銀成△2五歩がある。

△持ち駒 角
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△持ち駒 角銀歩2
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角換わり棒銀は腰掛け銀に有効とされているが、第3-6図はかつて升田幸三が二上達也との一戦で仕掛けを試みたことがある局面。この局面について『イメージと読みの将棋観2』(2010年、日本将棋連盟)では、後手は△6三銀型よりも△7三銀型のほうが理想としているが、△6三銀型でも抵抗力があり、羽生善治や藤井猛、渡辺明らは先手をもって全く指す気がない、後手一手損角換わりで生じる△8四歩保留型に比べて後手陣には△1三歩▲1二歩△2二銀(打)のあとの▲6六角から▲8四香の筋や▲7五桂の攻めも生じているが、先手がこの筋を狙うのはたいていうまくいかないとしている。

そして、実際の腰掛け銀側の手段としては、第3-7図の陣形のようにして完全に受け流す戦術も多く指された。第3-7図は1982年度(1983年2月)NHK杯テレビ将棋トーナメント決勝、先手青野照市七段後手中原誠十段戦。先手は端攻めから後手陣を完全に破っているが、第3-7図以下、▲1八飛△6二玉▲1三飛成以下、△6五桂~△4五桂と2つの桂馬が中央に殺到して後手側が快勝。以降はしばらく棒銀側の戦い方は棒銀側のみ飛車先を交換し、2六の銀を3七から4六へと中央にもっていく指し方がみられ、さらに角換わりは棒銀から腰掛け銀が主流となっていく。

筋違い角棒銀

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初手から角交換し、棒銀と筋違い角を併用して相手の二筋を攻める戦法。塚田正夫などが用い、昭和30年代に流行したが、対応策が出現し、廃れた。

矢倉棒銀

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矢倉模様から後手が単純棒銀で速攻を目指すのもあり、谷川浩司などが得意としていた[注 1]。△6五歩の突き捨てで角筋を絡め攻める。現在では受け方が確立しているが、定跡に明るくない級位者の将棋では相矢倉と共によく見られる。

初手から▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩の矢倉模様の出だしに対し、5手目▲6六歩が早くも岐路。古くは5手目は▲7七銀が主流だったが、中央が薄くなる面があり、後手の矢倉中飛車など中央から動く指し方に対しては損と見て▲6六歩も指されるようになったので、それを逆用する指し方がある。

▲6六歩以下△8五歩▲7七銀と飛車先を決めてから△7二銀(第4-1a図)と原始棒銀にするのがその指し方で、相矢倉の出だしであるため、急戦矢倉の一分野の扱いを受けており、後手居玉棒銀と呼ばれることも多い。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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湯川博士『奇襲大全』(2016年、マイナビ将棋文庫 ISBN:978-4-8399-5787-2)によると、この棒銀戦術は1980年に連盟静岡支部新年会で国持英規があみだした原始棒銀を指導に来ていた青野照市にみせたところ、青野はこんな戦法はだめだとしたが、少し駒を動かすと考えこんでしまったものであるという。その後同年5月のテレビ東京早指し将棋選手権で後手番をもって採用したもので、その時の相手は谷川浩司であった。局面は第4-1b図のように進み、以下▲3三角成△同桂▲8六歩で 8六同銀は▲8三歩から歩の連打で▲6六角があるので、後手△2七歩としておき、▲同飛に△8六銀と進む。以下▲同銀△同飛▲8七銀△8二飛▲8六歩に△2六歩▲同飛△4四角▲7七角△2六角以下、先手のミスもあって後手が快勝している。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 歩
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受け方の手順は、第4-1a図以下▲7八金△8三銀▲7九角△8四銀▲6八角△6四歩(第4-1c図)。先手は角を転換して飛車先を数の受けで受けるが、後手は6筋の歩を突いていく。ここで▲2六歩などと攻め合いにいくと、以下△6五歩▲同歩△9五銀で、▲9六歩と追い返そうとしても△8六歩▲同歩△同銀▲同銀△9九角成がある。

先手の対処法としてはこの場合、第4-1c図以下、先手は▲5六歩と突き、△6五歩▲同歩△9五銀には▲5五歩と突き出して△同角の時に▲5八飛(第4-1d図)と中央を制して受ける。ただしこれでも後手棒銀はかまわず△8六歩▲同歩△同銀と突進し、以下▲5五飛△7七銀不成▲同桂△8九飛成で、確実に先手も受けきるには難がある。 

△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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矢倉戦法/相矢倉においても、棒銀は非常に重要な位置を占める。

通常の矢倉での棒銀では▲4八 - ▲3七 - ▲2六と進めるのが普通(第4-2a図)。玉側の端歩は玉の退路を広げるのに非常に重要であるが、ここを安易に突くと矢倉棒銀の第一の狙いである端攻めからの棒銀速攻の餌食となる。突き合ってしまうと、第4-2a図から▲1五歩△同歩▲同銀△同香▲同香△1三歩▲1七香△1二銀▲1八飛と強襲を受け、敗勢となってしまう(以下△2四歩▲1三香成といった展開。第4-2b図)。

また棒銀側はは第4-2c図のような早繰り銀の要領で5七にいた銀を4六に繰り出して▲3五歩とし、△同歩▲同銀~▲2六銀~▲1五歩、を狙う順がある。このため「矢倉囲いに端歩を突くな」という格言があるほどで、▲3七(△7三)に桂馬が跳ねる、角が来るなどで棒銀が出来なくなってからでないと通常は端歩を突けない。またそのため、相手に端を突き越されることが多い。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 歩
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△持ち駒 香歩二
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ただし、第4-3図のようなケースもある。これは1998年4月の王座戦予選、先手有吉道夫×後手深浦康市戦で、先手の矢倉加藤流に対し後手が△5三銀型で守勢を取ったところ。後手は先手の棒銀からの端攻めを警戒して1筋の端歩を受けていない。一方で、先手は相手の角が7三にきたので9筋の端歩を受けた。

以下△6四銀▲4六銀△7五歩▲同歩△同銀▲7六歩△8四銀(第4-4図)と機敏に棒銀に組み替える。後手はすでに攻撃態勢が整っているが、先手は桂馬を跳ねておらず、1九の香車が角筋から避けるなど、攻撃体制に手数が多く掛かり出遅れている。

第4-4図以下、攻め合いを目指して▲3七桂だと、以下△9五歩▲同歩△同銀▲同香△同香▲9七歩(第4-5図)。途中の△9五同銀が攻めを繋げる有名な手筋。香車を残すほうが端攻が続く。△9五同香だと一歩を持つ代わりに香車が宙に浮き、後続の攻めが無い。盤面の状況によっては同香の場合も無いわけではない。

以下、持ち駒の香を9筋(△9一または△9三など)に投入する、飛車を9筋に回す、角を6四に移動させる、などで9七の地点には最大で4枚の駒が投入できるため、仮に▲9八銀と打っても受けきれず、9筋は突破される。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 桂歩4
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この他、第4-6a図の局面も昔からある定跡形で、2011年の順位戦C級1組先手村中秀史後手牧野光則戦。先手が早くに▲3七桂としているので後手は△1四歩としているが、ここから先手が▲3八銀と繰り出し、以下△3三銀▲2七銀△1一玉▲2六銀△2二銀右▲1五歩△同歩▲同銀△1四歩▲2六銀△9四歩▲2四歩△同銀▲2五桂△5三角▲3五歩△同歩▲1三歩△同歩▲1三歩△同香▲4五歩△同歩▲1三桂成△同桂▲3九香(第4-6b図)と先手が棒銀にきりかえて猛攻する手段がある。図から△3六歩に▲1四香△1二歩▲3六香△3四歩▲2五歩△3三銀引▲3五歩として先手が快勝している。

このように、棒銀には特有の端攻め攻撃が生じるので、棒銀側対棒銀側双方、その局面局面で駒組から陣形等、その都度様々な駆け引きが生じる。

第4-7a図は後手対棒銀側の△6四角ののぞきに棒銀側▲4六角で対抗したもの。この場合では△4六角と取ってしまって攻撃を緩和する策もあるので、▲6五歩と角を追ってから▲2六銀と進める場合もある。また第4-7b図のように ▲1七香として、▲1八飛から▲2六銀~▲1五歩をみる手段もある。この場合後手陣としては角の利きを確保して▲1八飛のときに△3七角成▲同桂△2七銀~△3六銀成などの手段を狙うなどの対処法がある。

第4-7c図は後手△5三銀としたのは▲3五歩△同歩▲同角を警戒したもの(それでも▲3五歩△同歩▲同角には△4五歩からの反撃が利く)。第4-7c図から第4-7d図なると後手陣の角の効きがないので▲1八飛が実現している。この先手棒銀側の狙いは▲2六銀~▲1五歩△同歩▲同銀といった端突破の他、△2二銀と悪形にさせるなどがあるが、後手側からも△7三角に構え▲1五歩△同歩▲同香△1三歩▲同香不成に△同桂で、▲同角成なら△2二金や、放置しておくと△2五桂▲2六銀△2七香▲3七桂△2八香成(▲同飛は△3七桂成)などの反撃筋もある。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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矢倉棒銀の第2の狙いは、弱体化を狙って相手守備陣の銀と棒銀側の銀交換や角の総交換がある。持ち駒に角銀を持つと後手矢倉囲いであれば5二や4一に角や銀を打って崩す手筋や3三の地点が開くと▲2五桂から▲3三歩△同桂▲1三桂成などの筋が生じる。ただし陣形によって棒銀側も相手からの角銀を使った、特に飛車に対しての反撃を受けるので、注意が必要。

そして、棒銀の繰り出し方もいくつかあり、先手からみて▲1五銀と出る1筋から▲2四歩といく手段、▲3五歩として3筋の歩交換から▲2四歩にいく手段、1歩もって▲2四歩△同歩▲2五歩と継ぎ歩で迫る手段や▲2四歩に△同銀なら▲2五銀と進出する手段などが考えられる。

1筋から迫る棒銀は、端の付き合いがない状態で先手棒銀側が▲1五銀と出て▲2四歩からの交換を迫る指し方で、このとき△1四歩という反発なら▲2四歩とはせずに棒銀側も▲2六銀と引いておけば、前述の端攻めが可能になる。また場合によっては▲2四歩と先に突き捨て、同歩や同銀に▲1五銀と出ていく手段もある。第4-8a図は、後手が△4五歩と4六にいた角を追い払ってから△9二飛と雀指しの攻勢をみせたので、先に▲4五桂△4四銀▲2四歩と仕掛けたもの。以下△同歩▲2三歩△同金▲1五銀~▲2四銀、がその進行例。角交換まで出来れば、相手からの攻撃が緩和され、また相手の矢倉が弱体化する。

3筋からは相手玉が矢倉に入城していない際に▲3五歩といくケースで、△同歩▲同銀と進めたとき△3四歩▲2四歩のとき△3五歩と銀を取ることができないからで、また▲3五歩を放置すれば▲3四歩から相手の金か銀を釣り上げて陣形を崩すことも可能な局面で使用される。第4-8b図がそれで、△同歩▲同銀と進めて総交換を約束させ、敵陣を弱体化させられる。したがって後手も△同歩と取らずに△7五歩などと攻め合いを目指すが、以下▲3四歩△同銀▲3五銀△同銀▲同角もしくは▲3五銀に△4五銀▲6八角から▲2四歩△同歩▲2二歩△同玉▲2三歩△3一玉▲2四銀△3四銀が進行例。

この局面で3筋から進めるのは、玉が矢倉に入城していない状態で▲1五銀からの場合、相手が△2二銀とする場合もあるからで、こうされたときは棒銀側は▲2四歩△同歩▲同角と角交換を迫る指し方もある。このとき通常後手側は交換に応じるよりも△3三桂と桂馬を跳ねて防ぐことが多い(第4-8c図)。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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△持ち駒 歩
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こうして棒銀はその攻め手順によって3筋の歩交換が生じるケースもあるので、先手なら▲3五歩△同歩▲同銀△3四歩▲2六銀と収まれば、そこから▲3七銀 - ▲3六銀と繰り替えることも可能ではある。しかしながら通常の▲3七銀型で▲3五歩△同歩▲同角から▲3六銀とする順に比べて手損であり、また相手方も素直には応じず、▲3五歩の瞬間に反撃する順も十分に考えられるので注意が必要。


第4-8d図から第4-8e図は田中寅彦が愛用していた飛車のこびんを開けずに3八~2七~2六と繰り出す矢倉棒銀の1例。4-8e図では後手が△3五歩▲同歩△同角と動いてきたもので、△7四銀の理想形を目指すこの局面での常套手段。ただしここで棒銀側に1歩持たせるので、4-8e図で後手が△2二銀として攻撃をかわそうとしても、以下▲2四歩△同歩▲2三歩△同銀▲2四銀という守りと攻めの銀交換が実現し、棒銀側の攻めが有効に働いてくることになる。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 歩
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対振り飛車棒銀

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振り飛車対策としての棒銀は代表的な急戦策である。直接の狙いは振り飛車側の角頭であるが、実際には多種多様な変化手順があり、戦法としては高級である。振り飛車対策には居飛車の持久戦策が全盛期にある今でも、棒銀がなお有力戦法であることには変わりない。

もともと香落ちで、上手の振り飛車に対して下手が棒銀に出る将棋は江戸から明治を通じて指されていた。上手が△1四歩と突いた形の場合で、下手が▲2七銀~2六銀~1五歩△同歩▲同銀と攻めるやり方である。前述の宗看・紹尊三十番将棋では、振り飛車に対して居飛車が角道を止めて▲6八金・6七金(もしくは銀)・5七銀(もしくは金)の陣形から棒銀に出る将棋が4局で、4七に構えた銀を3八→3七→2六と棒銀にした将棋も含め、宗看が2局、紹尊が2局それぞれ棒銀側を持って指し、勝負は宗看の4戦全勝となっているが、三十番将棋で第二十九番(対局年月日不詳)先手紹尊対後手宗看戦では、後手の二枚銀型の三間飛車に対してこの局は現代と同様に角道を通しての棒銀に出る将棋となっている。

平手で振り飛車に対して居飛車が棒銀にする作戦は昭和30年代から山田道美によって、主に対四間飛車対策として開発されている。山田は江戸時代の御城将棋を研究に用いており、また雑誌『近代将棋』に連載を持ち、それを通して研究成果を多く発表していく(内容は『山田道美将棋著作集』第一巻「近代戦法の実戦研究」所収)。その成果といえる実践として、第1号局は1958年(昭和33年)の高柳敏夫戦としている。山田は棒銀と呼ぶよりも「3七銀戦法」と呼んでいたが、これは居飛車が▲3七銀(△7三銀)と右銀を繰り出したときに四間飛車側が△4五歩(▲6五歩)と突いて角交換に出る将棋だったからである。その後は四間飛車がさばきを狙って△3二(▲7八)に飛車を移動し、左香を上げて居飛車の▲2六銀→3八飛とさせて、▲3五歩と突かせる展開に持っていく定跡になる。

対四間飛車

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四間飛車においては右銀を2六へ持っていき、▲3五歩と突く。後述の斜め棒銀と異なり、振り飛車の決戦の常套手段である△4五歩が銀に当たらないのが特徴。1筋の突き合いがない場合は▲1五 - ▲2四と活用する手筋もあり、また1筋の突き合いがある場合は1筋の突き捨てを絡めて攻める変化もある。ただし変化の軸は3筋の角頭で、▲3五銀と自然に進出できたならば一般に成功。▲4五歩の突き捨てからの角成りなど、非常に複雑な変化を伴った大型定跡である。飛車は場合によって2 - 4筋に移動させる。

振り飛車の対応により、銀はいずれ▲3七に退却して▲3六あるいは▲4六に立て直すことになるか、あるいは▲1五銀とただ捨てし、飛車を成り込む「加藤流」の強襲も含んでいる。

第5-1図の局面がよく指されており、ここから振り飛車側対策も△4五歩、△5一角、△4二角、△6五歩、△2二角など、手段が手広い。また第5-2図のように振り飛車側から角交換する場合もある。このときは先手は第5-3図のように進出した銀を▲3七銀~▲4六歩~▲4六銀とする手順や、▲6六歩~▲6七金~▲3五歩(同歩なら同銀で突破を図ることができる)で以下▲3四歩△同銀▲3五歩~▲3七銀~▲3六銀と組み替えて▲2四歩△同歩▲3七桂とする指し方が多い。

△ なし
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△ 角
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△ なし
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振り飛車側の対策が非常に進んでいるが、加藤一二三が現役時代に孤軍奮闘し、日々定跡を進化させ続けた。また、後手番では一手の差が大きく棒銀で戦うのは無理とされているが、加藤は△4一金を保留したまま戦うなど、後手番でも棒銀で勝負を挑んでいる。その結果、加藤相手には普段居飛車党の棋士が四間飛車で挑む場面もしばしば見られた。

△ なし
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△ なし
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△ 角
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また、第5-4図のように右四間飛車の構えから、9筋を相居飛車の棒銀のように端攻めする指し方もある。こうした攻撃方法は地下鉄飛車が知られているが、地下鉄飛車よりも陣形を組む手順がかからない。第5-4図以下は△同歩▲同銀△同香(△9三歩には▲7七桂~▲8五桂)▲同香△9三歩▲6六角△8四銀(△8二銀には▲9八飛)▲9九香△9五銀▲同香△1一香▲9八飛(第5-6図)と、攻撃の布陣が続く。後手は△9四歩▲同香△同香▲同飛△9一香としても、▲9三歩△同香には▲同角成△同桂▲9八香△9二歩に▲9五飛で▲9四歩を狙う、と矢倉の端攻めのような攻撃が可能。途中の▲9八香は△4五歩から△8八角打ちの反撃から9九が空なりになる仕組み。

対向かい飛車

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向かい飛車の場合△5二金型ならば3筋を狙う四間飛車の場合と同様の進め方となる。

一方、△3二金型を取った場合、居飛車側が▲3七に銀または桂馬を上げて対抗することがあるが、銀を持っていった場合にそのまま棒銀の形となることもある。通常は▲3七銀~▲2六銀~▲3五歩の攻めを食らわないよう第6-1図のように▲3七銀の瞬間に△4五歩という手段(以下▲5五歩△5四歩▲4五歩△5五歩▲4六銀左などの展開)や第6-2図のように△5四銀として玉頭銀を狙う(先手は第6-2図の▲3五歩△同歩▲3八飛~▲3五銀などの展開)ことが多い。

△ 歩
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△ 歩
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対中飛車

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中飛車に対する棒銀策は、大山康晴大内延介などの得意戦法の一つであるツノ銀中飛車に対して試みられていた。この対中飛車棒銀も1983年のレポートでは 7局指されている[4]

一例として第7-1図から△5一飛▲3五歩△同歩▲2六銀△4五歩(第7-2図)など。棒銀側は予め3筋に飛車を寄ってから右銀を進めることが多い。中飛車側は第7-1図のときにも△4五歩の反撃の手段があり、以下▲同歩△8八角成▲同玉△5五歩▲同歩△同飛▲4八飛の展開が常に予想されるので、先に4八飛としてから2六銀と繰り出すのもある。

△ なし
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△ 歩
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ただしその主要な変化である「振り飛車側が袖飛車に転じての7筋からの逆襲」に対し、銀が2筋に取り残される場合がある。加藤一二三も中飛車に対しては棒銀策は取らずに▲3八飛 - ▲3五歩の袖飛車戦法を愛用し、大山らと死闘を繰り広げた。

現在主流のゴキゲン中飛車に対しては、棒銀よりも「超速3七銀」のような早繰り銀が有力な対策と見られている。

対三間飛車

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△ なし
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△ なし
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△ なし
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三間飛車に対する棒銀策は、四間飛車に対する棒銀策と比べて居飛車が一手損する形になるため、先手四間飛車に対して棒銀が困難なのと同様に、通常は無理とされている。

ただし、三歩突き捨て急戦で第8-1図のように振り飛車側が△6三金や△7四歩を嫌って△2二飛と用心した場合に▲3七銀と棒銀を決行する順はある。先手が▲3七銀とすれば振り飛車側も△4三銀~△3二飛と戻す手順が生じるためであるが、▲3七銀以下△4三銀▲2六銀△3二飛▲3八飛△1二香▲3五歩△4五歩、あるいは▲3七銀△4三銀に▲4五歩(第8-2図)で以下△4二飛(この場合△同歩は▲3三角成△同桂▲6六角)▲4八銀~▲3七桂と、4五歩仕掛けの戦術に鞍替えるなどの指し方もある。また、先手三間飛車で同様の進行ならば振り飛車側の左金が先に4七にある場合も考えられ、第8-3図のように△7三銀と動く順もある。図から▲6七銀△8四銀▲7八飛△7二飛▲9八香△5三銀の進行では、▲6八角△7五歩▲5七角から6八金の順はないので、▲5九角△7五歩▲4八角△7六歩▲同銀△6五歩に、▲5五歩△同角▲6七銀もしくは▲5七金、また▲5九角とせずに他の手を指し△7五歩を待って▲6五歩、を振り飛車側が選択することになる。

△ なし
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△ 歩
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△ 歩
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また、第8-4図のような△5三銀型(▲5七銀型)三間飛車で、先手が4五歩の仕掛けをみせたところに△2二飛として仕掛けを封じにきた場合も3七からの棒銀にいくのが、プロでも過去に類似戦型がいくつか指されている。以下▲3七銀△4三金▲3五歩△同歩▲2六銀△3二飛▲3八飛がひとつの進行例。第8-5図からは後手三間飛車側は△4五歩の反撃手段もあるが△1二香などと指して攻めを誘うことも可能。以下▲3五銀に△1五角と出ると、この形では通常の棒銀・3八飛戦法と違って4四の地点に2つの駒が効いているので、▲4四銀からの2枚替えは成立しないが、通常の4六銀右戦法と違って4六の歩が突いているのでそれを活かして 居飛車側は▲3四歩と抑える。これは以下△3七歩に▲同桂と取り△3四金に強く▲4五桂と跳ねだすと(第8-6図)、△4五同金と取ることができなくなっているためである。また棒銀側からも△1五角~△3七歩の筋に対して▲1六歩としてから攻めにいく手順もある。

対振り飛車斜め棒銀

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△持ち駒 歩
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対振り飛車棒銀と多くの点で共通する狙いや筋を持っている。対振り飛車急戦戦法の主流と言える。居飛車舟囲い急戦を参照。

船囲いから左銀を▲5七に持っていくバランスの取れた形からの変化の一形態。ここからは、4五歩早仕掛け鷺宮定跡、斜め棒銀、5筋位取りなど様々な形に変化できる。

一般に斜め棒銀と言われるものには2種類ある。

一つは対四間飛車で後手の銀が3二で待機している時に使われた、山田道美の編み出した山田流の定跡のうちの一つ。▲3五歩の突き捨てで銀の進路を確保してから▲4六銀と出る。後手にも△6四角や△5四角などの対抗策もあり、形によってはうまくいかない。そのために青野照市米長邦雄などが作り上げた鷺宮定跡とセットになっている。狭義の斜め棒銀といえばこちらをさす。

第9図はその一例で、後手早繰り銀中飛車の局面で後手の銀が6四に進出したところで、ここから先手の仕掛け▲2四歩△同歩▲3五歩の仕掛けが成立する。以下△同歩▲4六銀に手筋の△3六歩にはかまわず▲3五銀と進出すると、後手は2四の飛車先と4四の地点の2つが受けにくくなっている。

もう一つは一般に4六銀戦法(左銀急戦は4六銀左戦法、右銀急戦は4六銀右戦法)などと呼ばれる、急戦の花形戦法にある順で、後手が△4三銀と上がっている形で▲3五歩~▲4六銀や単に▲4六銀と出る形で、棒銀と似た狙いを持っている。四間飛車のみでなく、三間飛車に対しても稀に指される。棒銀と異なって飛車先が通っており、銀が中央に近いために残って遊ぶことも少なく、柔軟性をもっている。ただし後手の決戦の常套手段である△4五歩が銀にあたるため、角交換後の処置が重要となる。棒銀同様に▲3七銀 - ▲3六銀の建て直しも含みとなっている。この仕掛けは後手番でも有効とされており、詰みまで研究されている形もあるが、途中押したり引いたりの難解な変化も多く持っている。ただし玉が薄く、指しやすい局面から勝ちきるのも難しい。

対振り飛車居玉棒銀

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第10-1図、第10-2図は両方とも雑誌『近代将棋』1980年9月号の「質問箱」で寄せられた局面で、対振飛車居玉棒銀1が後手△3四歩と開け、先手は玉をすでに2八に移動し、7筋に飛車を振って対処している。対振飛車居玉棒銀2が後手角道を閉じ、先手は居玉である。回答者の加藤一二三の解説では、前者の棒銀1では▲6五歩としても以下△7七角成▲同飛△7六歩▲同飛△6七角を喫するとしている。▲8八角も△7二飛▲7五歩△同銀▲6五歩△7六歩▲2二角成△同銀▲4六角には△9二飛となり、以下▲6八飛△4四角▲6四歩△同歩▲同角△同銀▲同飛△9九角成となるが、図でこのとき2八に玉が寄っているのが欠点になっているとしている。もし玉の位置が3八であれば、▲6五歩△7六歩で▲2二角成△同銀▲7六飛△6七角には▲7八飛として先手十分としている。

△ 持ち駒 なし
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△ 持ち駒 なし
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△ 持ち駒 歩
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一方で棒銀2では▲6五歩が利くとしている。このあと△7六歩には▲5五角△9二飛には▲7六銀となれば先手も十分で、▲6五歩に△3四歩でも▲7八金で、△7七角成でも▲同金で、別に先手が悪くないとしている。これは△3四歩が突いていないので、△7五歩がきても▲6五歩がさばきの常用手段となるからで、▲6五歩のほかには▲7八飛もあり、以下△7六歩▲同銀△7二飛には▲8八角で、△3四歩には▲4八玉で十分であるとしている。

居玉で早くに銀を繰り出す棒銀の実戦譜は、▲糸谷哲郎vs久保利明戦(第46期棋王戦挑戦者決定トーナメント、第10-3図)がある。図の局面で後手はまだ飛車を振っていないが、これは振り飛車党の久保に対し、初手▲2六歩△3四歩▲4八銀の出だしに△9四歩と様子をみた一手を甘くなるよう先手の糸谷がすばやく展開したもの。図以降は先手居飛車側が▲5六歩として後手角のさばきを押さえた。以下△5四歩▲3五銀に後手は△5二飛と中飛車に振るが、▲2四歩以下△同歩▲3四歩△4二角▲7六歩△6四角▲2四飛△1九角成▲2三歩以下、先手棒銀側が77手で快勝している。

対振り飛車矢倉棒銀

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△土居 持駒 なし
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図は1928年(昭和3年)東日・大毎掲載八大家勝継将棋第五局、先手木村義雄対後手土居市太郎戦。対局開始から終局まで六日間という期間がかかり、これは木村義雄対坂田三吉南禅寺の対局に次ぐ長さで、総手数も221手かかった。

木村はこのころ対振り飛車には3、4筋の歩を交換して主導権をにぎる作戦を愛用し、この対局もそうした指し方を目指した。昭和期にはこうした引き角から矢倉囲いに組んで、棒銀で攻め込む指し方も指された。

こうした対振り飛車に矢倉棒銀をつかう指し方は、加藤一二三も負けた記憶がない[5]と豪語するほど得意とし、彼は1980年代初期まで同戦法を愛用していた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 特に1997年第55期名人戦第6局が知られる。

出典

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  1. ^ なお、相懸かり戦が指されるようになったのは江戸時代も後期である。棒銀を棋士が指すようになったのは戦後からである
  2. ^ 清野は、1952年(昭和27年)に対升田幸三戦(棋戦不明)と対金高清吉戦(順位戦)、1969年(昭和44年)に対米長邦雄戦(棋聖戦)、1970年(昭和45年)にも米長戦(王座戦)、1973年(昭和48年)12月に対松下力戦(順位戦)で指した記録が残っている。
  3. ^ 飯塚 祐紀(著) 最強棒銀戦法:決定版 棒銀の必勝バイブル (スーパー将棋講座) 創元社 2008
  4. ^ 高橋道雄「緊急レポート居飛車vs振飛車プロ間における最近の序盤傾向の研究」第2回 三間飛車中飛車編(『将棋世界』1983年2月号所収)
  5. ^ 将棋世界編集部ほか 将棋世界Special vol.4 「加藤一二三」 ─ようこそ!ひふみんワールドへ─ マイナビ 2013

参考図書

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  • 青野照市『最新 棒銀戦法―単純かつ破壊力抜群! (将棋必勝シリーズ) 』創元社 2001年
  • 飯塚祐紀『最強棒銀戦法―決定版 棒銀の必勝バイブル (スーパー将棋講座)』創元社 2008年