桑野村
日本の福島県安積郡にあった村
桑野村(くわのむら)は福島県安積郡にかつて存在した村である。明治時代に開墾によって形成された。現在の郡山市桑野・開成地区周辺。
くわのむら 桑野村 | |
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廃止日 | 1925年6月1日 |
廃止理由 |
新設合併 桑野村 → 郡山市 |
現在の自治体 | 郡山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 福島県 |
郡 | 安積郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 富久山村、富田村、大槻村、郡山市 |
桑野村役場 | |
所在地 | 福島県安積郡桑野村 |
座標 | 北緯37度24分02秒 東経140度21分35秒 / 北緯37.40044度 東経140.35964度座標: 北緯37度24分02秒 東経140度21分35秒 / 北緯37.40044度 東経140.35964度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集現在の郡山市の中部に位置する。
歴史
編集桑野村は明治初期まで大槻原と呼ばれる未開拓の野原だったが、明治5年に福島県権令に就任した元熊本藩士安場保和は、かねてより北海道開拓に関心の高かった旧米沢藩士の中條政恒を県の勧業課開拓掛の典事(課長職)に任命し、戊辰戦争後の士族の授産策として大槻原開拓の全てを任せた[1][2]。最初に旧二本松藩士族19戸が大槻原の一角(現在の郡山市開成地区周辺)へ入植し、開墾が始まった[2]。明治6年(1873年)に中條は阿部茂兵衛ら25人の郡山町の富商たちを説得して「開成社」を設立し、開拓資金と移民を募り、開墾を本格化した[2][1]。「開成」の名は、中條の座右銘である「開物成務」からとった[1]。大槻原には桑が植えられ、道が造られ、明治7年には開拓事務所兼区会所として擬洋風建築の「開成館」が建てられた(のちの郡役所、現・郡山市開成館)[3]。
明治9年(1876年)に近村の一部を合併して人口700人の桑野村誕生(総戸数203のうち入植187戸)[4]。村名は桑を野に満たしむの意[5]。同年、明治天皇東北巡幸(明治14年)に先んじて下検分に郡山を訪れた大久保利通に中條が開成社の成功と国営安積開拓の必要性を説き、国営事業第1号として安積開拓と安積疏水事業を決定した明治政府は、明治11年より全国から士族移住を開始し、約500戸2000余人が入植した[2]。疏水は明治15年に完成し、村落は発展していった[2]。
村域の変遷
編集変遷表
1868年 以前 |
明治9年 | 明治22年 4月1日 |
大正14年 6月1日 |
現在 | |
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桑野村 | 桑野村 | 郡山市 | 郡山市 |
人口・世帯
編集人口
編集総数 [単位: 人]
1876年(明治 9年) | 700[4] |
1889年(明治22年) | 1,318 |
1902年(明治34年) | 1,746[6] |
1920年(大正 9年) | 2,334 |
世帯
編集総数 [単位: 世帯]
1876年(明治 9年) | 203[4] |
1902年(明治34年) | 328[6] |
1920年(大正 9年) | 429 |
交通
編集道路
編集脚注
編集参考文献
編集- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 7 福島県』、角川書店、1981年 ISBN 4040010701
- 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180
関連項目
編集- 福島県の廃止市町村一覧
- 久米正雄 - 母親の実家である桑野村開成山で少年期を過ごし、同村を舞台とした『牧場の兄弟』などの作品がある。
- 宮本百合子 - 桑野村開拓に尽力した中條政恒の孫で、同村開拓を題材とした『貧しき人々の群』で作家デビューした。
外部リンク
編集- 村の三代 - 宮本百合子、日本農業新聞、1941(昭和16)年1月1日号
- 福島県安積国営開墾事業ニ関スル調査概要 - 農林省農務局, 1927