柳田稔
柳田 稔(やなぎだ みのる、1954年〈昭和29年〉11月6日 ‐ )は、日本の政治家。基幹労連組合員。
柳田 稔 やなぎだ みのる | |
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生年月日 | 1954年11月6日(70歳) |
出生地 | 日本 鹿児島県鹿児島市 |
出身校 | 東京大学工学部船舶工学科卒業 |
前職 | 神戸製鋼所従業員 |
所属政党 |
(民社党→) (新進党→) (無所属→) (民主党→) (民進党(小林G)→) (旧国民民主党→) 無所属(国民民主党・新緑風会) |
称号 | 工学士(東京大学・1983年) |
公式サイト | 参議院議員 やなぎだ稔(2022年8月7日時点のアーカイブ) |
内閣 | 菅直人第1次改造内閣 |
在任期間 | 2010年9月17日 - 2010年11月22日 |
選挙区 | 広島県選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1998年7月26日 - 2022年7月25日 |
選挙区 | 旧広島3区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1990年2月19日 - 1996年9月27日 |
法務大臣(第84代)、拉致問題担当大臣、参議院議員(4期)、衆議院議員(2期)、民主党幹事長代理、民主党参議院幹事長、民主党広島県連代表、国民民主党両院議員総会長、参議院財政金融委員長、参議院厚生労働委員長、参議院予算委員長等を歴任。 血液型はA型。
来歴
編集生い立ち
編集鹿児島県鹿児島市生まれ[1]。本籍は広島県福山市。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、1973年に東京大学教養学部理科I類に入学する(岩崎学生寮に在籍)が自主退学し、寿司屋で5年間修行を積んだ[2]。1981年に東京大学工学部船舶工学科へ再入学し、1983年3月に卒業。同年4月、神戸製鋼所に入社し呉工場に配属された[要出典]。
民社党〜新進党
編集1990年の第39回衆議院議員総選挙に旧広島3区から民社党公認で出馬し、初当選。1993年の第40回衆議院議員総選挙で再選。同年8月、民社党が初めて与党に加わった細川内閣が誕生するが8カ月で細川護熙首相は退陣に追い込まれ、続く羽田内閣も2カ月で総辞職した。民社党は自社さ連立政権発足後に解党し、柳田を含む同党議員の多くが新進党結党に参加した。1996年の小選挙区制導入後初の第41回衆議院議員総選挙では、広島7区で自民党のベテラン宮澤喜一に完敗し落選(新進党は加藤六月のような一部の例外を除き、重複立候補を認めていなかった)。
民主党
編集1998年(平成10年)に第18回参議院議員通常選挙に広島県選挙区から無所属で出馬し、参議院議員に初当選。以降連続3選。後に民主党に入党し、第20・22回は同党公認で再選。2009年9月、参議院厚生労働委員長に就任し、2010年3月25日には子ども手当法案の採決を行った。2010年7月、民主党参議院幹事長に就任[3]。
法務大臣・拉致問題担当大臣
編集2010年9月17日発足の菅直人第1次改造内閣で法務大臣兼拉致問題担当大臣として初入閣。就任直後の記者会見で北朝鮮による日本人拉致問題への取り組みに関する質問に対し、拉致問題には民社党時代から党をあげて取り組んでおり、今後も特定失踪者問題調査会や韓国の関係者から情報を得て拉致被害者の帰国に全力を挙げると述べた[4]。拉致問題に関しては拉致議連に参加するなどの目立った活動がなく、拉致被害者家族会からは(柳田とは)面識がない、拉致問題について見識はあるのかといった、柳田の拉致問題に対する見識を疑問視する声が上がった[5]。一方、仙谷由人内閣官房長官は「彼は今までこの問題に関心を持って、それなりの人脈を持っている」と述べ[6]、実績不足という懸念を否定している[7]。
国会答弁軽視発言
編集2010年11月14日、柳田は広島市での国政報告会で大阪地検特捜部主任検事証拠改竄事件などに言及し「皆さんも、何で柳田さんが法相と理解に苦しんでいるんじゃないかと思うが、一番理解できなかったのは私です。私は、この20年近い間、実は法務関係は1回も触れたことはない」「法務大臣とは良いですね。二つ覚えときゃ良いんですから。 個別の事案についてはお答えを差し控えますと、これが良いんです。 わからなかったらこれを言う。で、後は法と証拠に基づいて適切にやっております。この二つなんです。まあ、何回使ったことか」などと発言した[8]。
この発言について自民党の河井克行は、11月16日の衆議院法務委員会で「法相という職を汚している発言」として謝罪と撤回を要求。審議が止まったため柳田が「委員会の審議では真摯な答弁を心掛けたい」と陳謝し再開した[9][10]。
11月17日、柳田は国会軽視ととられる発言をしたとして仙谷官房長官から厳重注意を受け[11]、「謹んでお受けしました」と答えた。また同日の参議院予算委員会でも思慮が足りなかったと陳謝した[12]。柳田はその後も法相続投に強い意欲を示していた[13][14]が、11月22日午前に首相官邸で菅直人首相に辞表を提出した。就任当初から死刑執行に前向きではあったが、死刑執行起案書を受け取ることなく退任した。法相は仙谷が兼務[15][16]。
法務大臣退任後
編集民主党は参議院東日本大震災復興特別委員会委員長に柳田を推していたが、自民党が反発したため2011年6月13日に委員40人による選挙が行われ、柳田が22票、自民党の岩城光英が16票、白票が2票で柳田が委員長に選出された。特別委員会の委員長が選挙で選ばれるのは、国旗及び国歌に関する特別委員会以来、12年ぶり[17]。
2011年9月、東日本大震災復興特別委員長を退任。2012年6月、参議院予算委員長に就任。2012年9月に行われた民主党代表選挙では中央代表選挙管理委員長として選挙管理の責任者の任にあたった。2012年12月に民主党幹事長代理に就任[18]。
2013年6月11日、社民党の山内徳信が参議院外交防衛委員会で米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設について「辺野古新基地建設は人殺しをする戦争目的の飛行場建設だ。(米国の)海兵隊の使う基地は人殺しのためのものだ」と述べた[19]ことについて、柳田稔は6月20日の同委員会で「そういう声も沖縄にある、真摯に受け止めなければならない」と述べ、自民党の佐藤正久防衛政務官が山内に発言の撤回を求めたことを問題視し「議員が委員会の場で発言するのは憲法で認められている」と述べ山内を擁護した[20]。その際、「議院規則に基づき当該発言は品位に関わるため提言した。」と答弁する佐藤に対し、「あのさ、ダラダラさ、余計なことをさ、別なことをダラダラ時間つかわないでくれる」などと呼びかけつつ、佐藤の主張を一蹴した。
2015年1月の民主党代表選挙では、元幹事長・細野豪志の推薦人に名を連ねた[21]。
2016年7月10日の第24回参議院議員通常選挙で広島県選挙区に民進党公認候補として出馬、2位の得票で4選。
国民民主党
編集2018年5月7日、民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加[22]。 同日、両院議員総会長に就任した[23]。
2020年9月8日、玉木雄一郎が結成する新「国民民主党」および合流新党である「立憲民主党」のいずれの党にも参加しないことを表明[24]。院内会派としては国民民主党・新緑風会に引き続き所属。
政策
編集- 議員年金
- 2006年2月3日、参議院本会議で行われた与党提出の議員年金廃止法案の採決で「与党案に反対したら年金受給を選択することはできない」と主張し、棄権した[要出典]。
- 委員会審議
- 2007年4月12日、参議院外交防衛委員会(議題は知的所有権議定書など三つの条約案件の質疑・採決)に麻生太郎外務大臣が約1分の遅刻をしたことに激怒し、委員長として開会を拒否した[26]。
- 2007年6月20日、外交防衛委員会でイラク特別措置法改正案を審議時間11時間30分で強行採決した田浦直委員長を「十分な審議とは程遠い状況にもかかわらず、与党の理不尽な要求をそのまま受け入れ、職権で法案の採決を行った」と批判し、解任決議案を提出した[要出典]。
- 議員定数
- 2010年8月3日、党参議院幹事長に就任。民主党のマニフェストに掲げられている、参議院の定数を40議席削減する方針について「相当難しいことになるのではないか」と述べた上で「まず、民主党としての考えをまとめていかなければいけない」として、早急に議論を開始すべきとの考えを示した[27]。
- エネルギー政策
- 電力総連の支持を受ける、中国地方の国会議員や地方議員らで構成される「未来の環境・エネルギー政策を考える会」会長を務めている。
- 選択的夫婦別姓
- 選択的夫婦別姓制度についての選択式アンケートにおいて「どちらかといえば賛成」としている[28]。
活動
編集選挙歴
編集当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年 2月18日 | 35 | 旧広島3区 | 民社党 | 7万9718票 | 15.21% | 5 | 4/7 | / |
当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 7月18日 | 38 | 旧広島3区 | 民社党 | 7万3433票 | 14.80% | 5 | 3/8 | / |
落 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 41 | 広島7区 | 新進党 | 6万9603票 | 34.66% | 1 | 2/4 | / |
当 | 第18回参議院議員通常選挙 | 1998年 7月12日 | 43 | 広島県 | 無所属 | 28万7923票 | 22.57% | 2 | 2/7 | / |
当 | 第20回参議院議員通常選挙 | 2004年 7月11日 | 49 | 広島県 | 民主党 | 50万9875票 | 42.62% | 2 | 1/4 | / |
当 | 第22回参議院議員通常選挙 | 2010年 7月11日 | 55 | 広島県 | 民主党 | 29万5276票 | 24.53% | 2 | 2/5 | / |
当 | 第24回参議院議員通常選挙 | 2016年 7月10日 | 61 | 広島県 | 民進党 | 26万4358票 | 23.15% | 2 | 2/7 | / |
脚注
編集- ^ 公式プロフィール[リンク切れ]
- ^ “当確速報!改選定数2の広島選挙区 柳田稔氏(民進党公認候補・現職)が新人を振り払い勝利!”. 選挙ドットコム (2016年7月10日). 2023年5月24日閲覧。(『池上彰の選挙ライブ』を撮影した写真)
- ^ “民主党:臨時国会を前に、参院総会で一致団結を改めて確認”. archive.dpj.or.jp. 民主党. 2022年11月29日閲覧。
- ^ 法務省2010年9月17日
- ^ 時事通信:拉致家族「見たことない」=担当相兼務の柳田法相 [1][リンク切れ]
- ^ 日テレNEWS242010年9月18日
- ^ 「それなりに人脈」 官房長官が拉致担当人選で説明 産経新聞 2010年9月18日閲覧[リンク切れ]
- ^ 共同通信2010年11月17日
- ^ “「法相は答弁2つ覚えておけばよい!」 柳田法相、国会で陳謝 - MSN産経ニュース”. MSN産経ニュース. (2010年11月16日) 2010年11月16日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 河井も後に法務大臣に就任するが、就任直前に実施された第25回参議院議員通常選挙において、妻・河井案里の立候補を巡って大規模買収を犯した(河井夫妻選挙違反事件)ことで辞任、その後の公判で実刑判決を受けたため、結果的にこの発言はブーメランとなってしまっている。
- ^ “柳田法相:仙谷官房長官が厳重注意 国会答弁軽視発言で - 毎日jp(毎日新聞)”. 毎日jp. (2010年11月17日) 2010年11月17日閲覧。[リンク切れ]
- ^ ウォール・ストリート・ジャーナル日本版2010年11月17日
- ^ 日テレNEWS242010年11月19日
- ^ 日テレNEWS242010年11月21日
- ^ 柳田法相、菅首相に辞表を提出 日テレNEWS24 2010年11月22日
- ^ 仙谷の法相兼務はその後の内閣改造で2011年1月14日に江田五月が就任するまで続いた(菅第2次改造内閣)。
- ^ YOMIURIONLINE2011年6月13日
- ^ “両院議員総会 海江田代表が新役員の選任を提案し了承される”. 民主党. 2022年11月29日閲覧。
- ^ 海兵隊基地は「人殺し基地」社民・山内氏が暴言 産経新聞2013年6月11日
- ^ 社民の「米軍は人殺し」発言 民主・柳田氏が理解示す 産経新聞2013年6月20日
- ^ 民主代表選候補の推薦人名簿 時事ドットコム 2015年1月7日 2015年1月8日閲覧。
- ^ “国民民主党、結党大会を開催”. Qnewニュース. (2018年5月7日) 2018年5月24日閲覧。
- ^ “国民民主党設立大会 綱領・規約・人事等を決定”. 国民民主党. (2018年5月7日) 2018年5月24日閲覧。
- ^ “柳田参院議員が合流新党不参加 無所属で活動へ /広島”. 毎日新聞. (2020年9月9日) 2020年9月14日閲覧。
- ^ “柳田元法相が引退表明 参院選不出馬、年齢理由に”. 産経新聞. (2021年12月22日)
- ^ “ほんの1分足らず” 麻生外相らが遅刻、激怒した民主党が開会拒否…参院外交防衛委 毎日新聞2007/04/13 [2][リンク切れ]
- ^ 民主党ホームページ:柳田参院幹事長、「厚生労働分野の経験を生かして頑張っていきたい」と就任の意気込みを語る [3]
- ^ 朝日新聞2016年参院選候補者アンケート(朝日・東大谷口研究室共同調査)、(2016年6月23日閲覧)
- ^ 2010年10月21日16時28分 読売新聞
関連項目
編集- 基幹労連 - 柳田は基幹労連の組織内候補である。
- 国民民主党国会議員一覧
- 松崎哲久
外部リンク
編集- 参議院議員 やなぎだ稔 - ウェイバックマシン(2022年8月7日アーカイブ分)
公職 | ||
---|---|---|
先代 千葉景子 |
法務大臣 第84代:2010年 |
次代 仙谷由人 |
議会 | ||
先代 北澤俊美 |
参議院国家基本政策委員長 2016年 - 2017年 |
次代 鉢呂吉雄 |
先代 石井一 |
参議院予算委員長 2012年 |
次代 石井一 |
先代 創設 |
参議院東日本大震災復興特別委員長 2011年 |
次代 増子輝彦 |
先代 辻泰弘 |
参議院厚生労働委員長 2009年 - 2010年 |
次代 津田弥太郎 |
先代 山下八洲夫 |
参議院財政金融委員長 2002年 - 2003年 |
次代 平野貞夫 |
党職 | ||
先代 高嶋良充 |
民主党参議院幹事長 2010年 |
次代 平田健二 |