林 彪(りん ひょう)は、中華民国政治家裁判官弁護士礼源中華人民共和国の元帥・党副主席として著名な林彪とは同姓同名の別人である。

林彪
『満洲紳士録 第三版』(1940年)
プロフィール
出生: 1889年光緒15年)
死去: 不詳
出身地: 清の旗 広東省広州府香山県
職業: 政治家・法律家
各種表記
繁体字 林彪
簡体字 林彪
拼音 Lín Biāo
ラテン字 Lin Piao
和名表記: りん ひょう
発音転記: リン ビャオ
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事績

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最初はベルギーに留学し、その後アメリカに移って、ウィスコンシン大学を卒業した。続いてドイツヴュルツブルク大学に入学し、法学博士号を取得した。1923年民国12年)に帰国し、孫文(孫中山)が率いる広東軍政府に加入して、大元帥府秘書に任命された。以後、ドイツ公使館館員、国立北京大学講師、上海臨時法院推事を歴任している。

1928年(民国17年)12月、国民政府司法院秘書となり、翌年4月、江蘇高等法院署理院長に就任した。1934年(民国23年)3月に辞職して、蘇州で弁護士を開業した。1940年(民国29年)3月、汪兆銘(汪精衛)が南京国民政府を樹立すると、林彪は行政法院院長に任命され、政権崩壊まで一貫して在任した。1945年(民国34年)1月、各国在華治外法権撤廃委員会委員を兼任している。

汪兆銘政権崩壊後における林彪の消息は不明である。

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
   南京国民政府(汪兆銘政権
先代
(創設)
行政法院院長
1940年3月 - 1945年8月?
次代
(廃止)