林信夫 (内務官僚)
日本の内務・警察官僚、弁護士
林 信夫(はやし のぶお、1894年(明治27年)12月24日[1][2] - 1972年(昭和47年)11月16日[3])は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。
経歴
編集和歌山出身。林治の三男として生まれる[1]。第三高等学校を卒業。1919年、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し兵庫県属となる。同年10月、高等試験行政科試験に合格した[1][4]。
以後、兵庫県印南郡長、長崎県理事官、埼玉県参事官、山形県書記官・学務部長、青森県書記官・警察部長、警視庁書記官・保安部長、岡山県書記官・総務部長、東京府書記官・総務部長などを歴任[1][5]。
1937年1月、茨城県知事に就任。県民の負担増の抑制のため財政の立て直しと、緊急事業の実施に尽力。1938年1月、厚生省衛生局長に転じた[5]。1940年4月、宮城県知事となる。仙塩総合開発計画を推進し、釜房ダム建設認可に尽力した。1942年10月、知事を退任[1]。同年に退官し、戦後、公職追放となった[4]。
栄典
編集著作
編集- 述『教育の素人観』〈社会事業叢書;第4輯〉茨城県社会事業協会、1937年。
- 『国民精神総動員に際して皇国日本の真姿顕現を望む:日立製作所従業員のために、温交会女子会員のために』〈日立パンフレツト;第16輯〉日立評論社、1937年。
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 人事興信所編『人事興信録』第10版 下、1934年。