松平頼敬

江戸時代後期の大名。宍戸藩第6代藩主

松平 頼敬(まつだいら よりゆき)は、江戸時代後期の大名常陸国宍戸藩6代藩主。官位従五位下・靭負佐。

 
松平 頼敬
時代 江戸時代後期
生誕 安永7年1月14日1778年2月10日
死没 文化4年11月8日1807年12月6日
改名 信之助(幼名)→頼敬
戒名 円暁院殿廓誉法然浄性大居士
墓所 茨城県常陸太田市瑞竜町の瑞龍山
官位 従五位下、靭負佐
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
常陸宍戸藩
氏族 水戸徳川家支流宍戸松平家
父母 父:松平頼救、母:杉崎氏
兄弟 頼敬太田資原頼位、順、政、直、克、金、千勢、左衛、松
正室:松平頼周の娘

養子:頼筠
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略歴

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5代藩主・松平頼救の長男。母は杉崎氏。幼名は信之助。

享和2年(1802年)4月5日、父の隠居により跡を継ぐ。文化4年(1807年)11月8日に父に先立って21歳で死去し、跡を養嗣子の頼筠(宗家の従兄・水戸藩徳川治紀の四男)が継いだ。法号は円暁院殿廓誉法然浄性大居士。墓所は茨城県常陸太田市瑞竜町の瑞龍山

系譜

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