松平直巳
日本の江戸時代後期~大正時代の大名・知藩事
松平 直巳(まつだいら なおおき)は、幕末期の大名。出雲国広瀬藩第10代(最後)の藩主、のち藩知事。直政系越前松平家広瀬藩分家10代。
松平直巳 | |
時代 | 江戸時代後期 - 大正時代 |
生誕 | 天保3年2月23日(1832年3月25日) |
死没 | 大正6年(1917年)3月23日 |
官位 | 従五位下・佐渡守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家茂、慶喜→明治天皇 |
藩 | 出雲広瀬藩主 |
氏族 | 越前松平家支流広瀬松平家 |
父母 |
父:松平直寛、母:安達氏 養父:松平直諒 |
兄弟 | 直諒、菅谷政徳、直審、蒔田定詢、直慈、米津政雅、河野道久、直行、町野直在、芦野資貞、直巳、蔵子、酒井道教室、阿部正義正室、佐野時行正室、平野長発継室、泰、松平信敏正室、高木某正室ら |
妻 |
正室:幸姫(内藤正義の娘) 継室:愛姫(松平信順の娘) 継々室:錦姫(吉田良熈の娘) |
子 | 養子:直平 |
略歴
編集8代藩主・松平直寛の十一男として誕生した。母は側室の安達氏。
文久元年(1861年)、兄・直諒の死去によりその養子として家督を継いだ。しかし兄のように有能ではなく、幕末期の政局に耐えられる人物ではなかったため、藩は混乱したという。しかし家老の岩崎広勤の手腕により、医学所や洋学所を設置して人材育成に努めた。明治2年(1869年)の版籍奉還で広瀬藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県で東京に移住した。明治9年(1876年)、養子の直平(松江藩主松平定安の四男)に家督を譲る。