松平町
日本の愛知県東加茂郡にあった町
松平町(まつだいらちょう)は、かつて愛知県東加茂郡にあった町。現在の豊田市松平町である。
まつだいらちょう 松平町 | |
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廃止日 | 1970年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 松平町→豊田市 |
現在の自治体 | 豊田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 東加茂郡 |
市町村コード | 23542-3 |
面積 | 43.80 km2. |
総人口 |
6,712人 (国勢調査、1965年) |
隣接自治体 | 豊田市、岡崎市、東加茂郡足助町、下山村 |
松平町役場 | |
所在地 | 愛知県東加茂郡松平町大字九久平字荒井15 |
座標 | 北緯35度03分16秒 東経137度12分52秒 / 北緯35.05453度 東経137.21431度座標: 北緯35度03分16秒 東経137度12分52秒 / 北緯35.05453度 東経137.21431度 |
ウィキプロジェクト |
松平氏・徳川氏の発祥地である松平郷を中心とした町である。昭和40年代の広域合併で豊田市に編入合併され、平成の大合併以前の豊田市の南東部の地域に該当した。
地理
編集愛知県のほぼ中央部にある[1]。美濃三河高原の南西端に位置し、西側は岡崎平野の一部となっている[1]。面積は43.84 km2であり、東加茂郡の自治体の中では最も小さかった。
矢作川やその支流の巴川沿いの町である。現在、町の西部は住宅開発が進み、東海環状自動車道豊田松平ICが設置されている。松平郷などの町の東部は山間部の農村地帯である。
隣接していた自治体
編集沿革
編集教育
編集- 高等学校
- 愛知県立足助高校分校(現・愛知県立松平高等学校)
- 中学校
- 松平町立松平中学校(現・豊田市立松平中学校)
- 小学校
- 松平町立幸海小学校(現・豊田市立幸海小学校)
- 松平町立岩倉小学校(現・豊田市立岩倉小学校)
- 松平町立九久平小学校(現・豊田市立九久平小学校)
- 松平町立滝脇小学校(現・豊田市立滝脇小学校)
- 松平町立豊松小学校(現・豊田市立豊松小学校)
経済
編集江戸時代には岡崎城と足助を結ぶ足助街道が通っており、岡崎や足助との結びつきが強かった[4]。足助街道に沿って矢作川支流の巴川が流れているが、松平は巴川の最も上流の川港であり、物資を積み替えて足助に運ぶ拠点となっていた[4]。
自動車が交通の主流となった後も、岡崎市=足助町間には毎日10数往復の路線バスが運行されており、やはり岡崎との結びつきが強かった[4]。しかし、特に1960年代から豊田市が自動車産業で発展し、豊田市との結びつきが強まっていった[5]。1965年時点では669人が豊田市に通勤し、172人が岡崎市に通勤していた[5]。
神社・仏閣
編集娯楽・祭礼
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[6]。
出典
編集- ^ a b 松平町誌編纂委員会『松平町誌』豊田市教育委員会1976年、p.1
- ^ 旧・所石村、簗山村、提立村、 椿木村、歌石村、大田村、茅原村、羽明村、大津村、大楠村、下屋敷村、杉ノ木村、仁王村、正作村、東宮口村、真垣内村、南篠平村、日明村、二口村。旧・下平村、岩谷村は盛岡村(後の足助町の一部。現・豊田市)に編入。
- ^ 旧・二本木村、西野村、重田和村、白瀬村、酒呑村。旧・霧山村、則定村は盛岡村(後の足助町の一部。現・豊田市)に編入。
- ^ a b c 松平町誌編纂委員会『松平町誌』豊田市教育委員会1976年、p.2
- ^ a b 松平町誌編纂委員会『松平町誌』豊田市教育委員会1976年、p.3
- ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。
- ^ “巴川金魚花火大会”. 【公式】愛知県豊田市の観光サイト「ツーリズムとよた」. 2023年8月11日閲覧。