松平正信

江戸時代前期の大名・奏者番。相模玉縄藩2代藩主。大河内松平宗家2代。従五位下・備前守。子に松平正基(六男、母は家女、旗本寄合席・三河碧海郡内根崎陣屋3000石、小大膳、万次郎、監

松平 正信(まつだいら まさのぶ)は、江戸時代前期の大名奏者番相模国玉縄藩2代藩主。大河内松平宗家2代。官位従五位下備前守

 
松平正信
時代 江戸時代前期
生誕 元和7年11月18日1621年12月30日
死没 元禄5年11月26日1693年1月2日
官位 従五位下備前守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱綱吉
相模玉縄藩
氏族 大河内松平家
父母 父:松平正綱
兄弟 利綱正信正光正朝堀直輝正室、本多利長正室、勢光院、溝口重雄正室、三宅康勝正室、稲葉正能室、
榊原照清室、神保茂明正室
養兄弟:信綱土屋利直継室
正室:宗義成
正久正基土屋直樹正室、高陽院、
松平乗成正室、本多忠能正室、
屋代忠知正室、乗願院ら
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略歴

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初代藩主・松平正綱の次男として誕生。

兄・利綱が早世したため、代わって嫡子となり父の跡を継いだ。この際、弟・松平季綱(正朝)に3000石を分与した。万治2年(1659年)2月21日、奏者番となり、貞享3年(1686年)10月9日まで務めた。この間、高力隆長改易による島原城受け取りの上使、鶴岡八幡宮の修造奉行、日光東照宮の石垣修理奉行を務めた。

元禄3年(1690年)に隠居し、家督を次男・正久に譲った。

系譜

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父母

正室

子女


脚注

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  1. ^ 正久の相続時に3千石分与され旗本。三河国の根崎陣屋。