松尾 敏男(まつお としお、1926年(大正15年)3月9日 - 2016年(平成28年)8月4日[1])は、日本画家位階従三位勲等文化勲章多摩美術大学名誉教授文化功労者


松尾 敏男
松尾 敏男
(まつお としお)
文化勲章受章に際して公表された肖像写真
文化勲章受章に際して
公表された肖像写真
生誕 1926年3月9日
日本の旗 長崎県長崎市
死没 (2016-08-04) 2016年8月4日(90歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京府立第六中学校卒業
著名な実績 日本画
流派 日本美術院
受賞 再興院展文部大臣賞
1975年1978年
日本芸術院賞1979年
選出 日本芸術院
民族 大和民族
活動期間 1943年 - 2016年
影響を受けた
芸術家
堅山南風

財団法人日本美術院同人、多摩美術大学美術学部教授日本芸術院会員公益財団法人日本美術院理事長などを歴任した。

概要

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長崎県出身の日本画家である。堅山南風に師事し、主に院展で活動した。日本美術院同人を経て、のちに理事長に就任した。日本画の中でも特に花鳥画を題材とする作品で知られており、「花の松尾敏男」と称された。また、多摩美術大学で教鞭を執るなど、後進の育成にも努めた。日本芸術院会員にも選任されており、文化功労者として顕彰を受け、のちに文化勲章を受章している。

来歴

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長崎県長崎市生まれ。堅山南風に師事。東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)卒業。在学中は体操選手であった。

1949年に『埴輪』が院展初入選。以後院展に出品を続け、1962年 初の院展奨励賞、1966年 院展日本美術院賞、1971年 芸術選奨新人賞、1975年 院展文部大臣賞、1979年 日本芸術院賞[2]。1988年 多摩美術大学教授に就任。

1994年、日本芸術院会員。1998年、勲三等瑞宝章。2000年、文化功労者。2012年、文化勲章受章[3]

2016年8月4日、肺炎のため死去[1]。90歳没。歿後に従三位追叙[4][5]。木杯一組追贈[6]

略歴

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作品

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賞歴

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栄典

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画集など

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  • 花の四季 画文集 日本放送出版協会 1981
  • 花の四季-画文集(続) 日本放送出版協会、1985
  • 松尾敏男画集 日本放送出版協会、1987

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b “日本画家の松尾敏男さん死去 日本美術院理事長”. 朝日新聞. (2016年8月8日). http://www.asahi.com/articles/ASJ883T3PJ88UCVL001.html 2016年8月8日閲覧。 
  2. ^ 『朝日新聞』1979年3月6日(東京本社発行)朝刊、22頁。
  3. ^ 松尾敏男 プロフィール院展/日本美術院ホームページ アーカイブ 2017年8月15日 - ウェイバックマシン
  4. ^ 官報』第6859号(平成28年9月14日付)9頁
  5. ^ 「叙位叙勲」『読売新聞』2016年9月3日朝刊
  6. ^ 『官報』6930号、平成29年1月5日

外部リンク

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