松下正治
日本の実業家
松下 正治(まつした まさはる、英語:Masaharu Matsushita, 1912年9月17日[2] - 2012年7月16日[1])は、日本の実業家。パナソニック(旧・松下電器産業)の代表取締役社長、代表取締役会長、取締役相談役名誉会長を歴任した。位階は従三位。松下幸之助の娘婿。東京府出身。2018年現在、同社の歴代社長8人の中で唯一、関西以外の出身者(他は全て最終学歴まで関西育ち)である。
まつした まさはる 松下正治 | |
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生誕 |
1912年9月17日 日本 東京 |
死没 |
2012年7月16日(99歳没) 日本 大阪府守口市[1] |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京帝国大学卒業 |
職業 | パナソニック(旧・松下電器産業)第二代社長, 実業家 |
配偶者 | 松下幸子 |
子供 |
松下正幸(パナソニック副会長) 松下弘幸(元レーシングドライバー) |
親 | 平田松堂 |
親戚 |
松下幸之助(義父) 平田松堂 (父) 平田東助 (祖父) 関根大介(孫) 平田昇 (叔父) 丹羽正治(義弟) |
受賞 |
経歴
編集伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 1935年 - 東京帝国大学卒業後、三井銀行入行[3][4]。
- 1940年4月22日 - 松下幸之助の娘・松下幸子と結婚し、松下電器産業(現・パナソニック)に入社[4]。
- 1947年10月 - 松下電器産業取締役就任。
- 1949年8月 - 松下電器産業代表取締役副社長就任。
- 1961年1月 - 松下電器産業代表取締役社長に就任[5]。
- 1961年7月 - 松下電工(後のパナソニック電工)取締役就任。
- 1977年2月 - 松下電器産業代表取締役会長就任。
- 2000年6月 - 松下電器産業取締役相談役名誉会長就任。
- 2004年2月 - 松下電工取締役退任。
- 2012年6月 - パナソニック取締役相談役名誉会長を退任。
- 2012年7月 - 老衰のため松下記念病院で死去[1][6]。99歳没。叙従三位[7]
受賞歴
編集家族・親族
編集- 祖父 - 平田東助[8](伯爵[8]、枢密顧問官、内務大臣[8])
- 外祖父 - 前田利昭[8](子爵、七日市藩第12代藩主)
- 大おじ - 山縣伊三郎(公爵、逓信大臣、三重県知事、徳島県知事)
- 実父 - 平田松堂[8](伯爵[8]、日本画家、東京美術学校教授)
- 伯父 - 前田利定(子爵、農商務大臣)
- 伯父 - 前田利為(侯爵、加賀前田家第16代当主、大日本帝国陸軍陸軍大将)
- 伯父 - 平田昇(海軍中将・侍従武官)
- 従伯父 - 伊東忠太(建築家、早稲田大学教授)
- 岳父 - 松下幸之助[8](松下電器産業創業者、松下政経塾創立者)
- 従兄 - 前田利建(侯爵、加賀前田家第17代当主、宮内省式部官)
- 義弟 - 丹羽正治(松下電工名誉会長)
- 従妹 - 酒井美意子(評論家、ハクビ総合学院学長、酒井忠元の妻)
- 長男 - 松下正幸[8](パナソニック取締役副会長)
- 次男 - 松下弘幸[8]【ヒロ松下】(元インディカーレーサー、代表取締役会長 スウィフト・エンジニアリング、スウィフト・エックスアイ
- 娘婿 - 関根恒雄(松下興産社長)
- 孫 - 関根大介(オープンドア創業者)
系譜
編集→「松下幸之助 § 系譜」、および「平田東助 § 系譜」を参照
脚註
編集- ^ a b c YURI KAGEYAMA (2012年7月16日). “Former Panasonic president Matsushita dies at 99” (English). The Post and Courier. AP通信. オリジナルの2018年10月23日時点におけるアーカイブ。 2018年10月24日閲覧。
- ^ 立石 339ページ
- ^ パナソニック名誉会長、松下正治氏が死去 99歳 msn産経ニュース 2012年7月17日
- ^ a b 立石 340ページ
- ^ 立石 343-345ページ
- ^ 朝日新聞 2012年7月17日付朝刊 39面参照
- ^ 官報本紙平成24年8月20日
- ^ a b c d e f g h i 荒川 304-305ページ
参考文献
編集- 荒川進『苦労と難儀はちがいます 松下幸之助の妻・むめの伝』講談社、1985年。ISBN 4062019302。
- 立石泰則『復讐する神話 松下幸之助の昭和史』文藝春秋〈文春文庫〉、1992年。ISBN 4167221020。
- 岩瀬達哉『ドキュメント パナソニック人事抗争史』講談社、2015年。ISBN 4062194708。
外部リンク
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