東山湛照
東山湛照(とうざん たんしょう)は、鎌倉時代後期の臨済宗の僧。
東山湛照 | |
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寛喜3年 - 正応4年8月8日 (1231年 - 1291年9月2日) | |
号 | 十地[1] |
諡号 | 宝覚禅師[1] |
生地 | 備中国[1] |
宗旨 | 臨済宗 |
寺院 | 京都三聖寺 |
師 | 円爾 |
弟子 | 松嶺智義、無才智翁、愚直師侃、師錬、無門師門、月浦湛環、江山師籍、夏雲師悦、石林師泉、肯庵、無伝、師円首座、師東首座、師寬首座、西浦師曇[2] |
著作 | 『宝覚禅師語録』[1] |
経歴・人物
編集京都東福寺の円爾の法を嗣ぎ、三聖寺開山となる。のち円爾が寂すと東福寺住持を継ぎ、同寺2世となる[1]。晩年は三聖寺に退隠し、虎関師錬らを育てた[1]。盗賊に襲われ刺殺されたとする資料もある[3]。