杉浦三六

日本のプロ野球選手 (1954-2014)

杉浦 三六(すぎうら みつむ、1954年7月7日 - 2014年4月[1])は、日本プロ野球選手(南海ホークスの投手[2][3])、会社役員

杉浦 三六
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1954年7月7日
没年月日 2014年4月(満59歳没)[1]
身長
体重
178 cm
64 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1972年 ドラフト外
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

俳優杉浦太陽ギタリスト杉浦タカオ(杉浦太雄)は息子。歌手タレント辻希美は義娘(太陽の妻)、希空(太陽の娘)は孫に当たる。

来歴

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広島県の広陵高校出身[2]1971年南海ホークスの入団テストを受けるも不合格。翌1972年に再び南海の入団テストを受け、合格。同年のドラフト外で入団。

引退後は、不動産ブローカー・広告代理店業務など職を転々とした。中国工業取締役をつとめる[注 1]1981年に太陽が、1983年に太雄が誕生する。1993年に病院乗っ取りを企てたとして詐欺罪で逮捕された[3]1994年には妻と離婚。

2014年4月に入院先の病院で死去[1]。享年59歳。長年、肝臓を患っていたという。太陽は父の死に際し相続放棄をし、「親父なので悲しいです」と言葉少なに追悼コメントを出した。

人物

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自身が借金していた暴力団との関係が絶える事はなく、2011年には太陽の所属事務所「スカイコーポレーション」に指定暴力団山口組系組員の男(57歳)が乗り込み暴動事件が起きている[5]。男は「杉浦太陽の父親に金を貸している。居場所を教えろ」などと要求、応対した事務所社長と口論となり、社長が110番するために席を外している間にガラス戸を割り、器物損壊の疑いで現行犯逮捕された[5]

一方で関西芸能人との関係が深く、阪神監督時代に設立された星野仙一の私設後援会「虎仙会」のパーティーに出席する関係[要出典]の他、やしきたかじんが「太陽の父(三六の事)とは飲み友達」と公言したり[要出典]太平サブローのコンサートにゲスト出演しただけでなく、サブローが杉浦を異常に褒めまくる記事を書くなど厚遇されていた[6]

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 54 (1973年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 中国工業(株)について、『東商信用録 中国版 昭和63年版』には「所在地・岡山県玉野市玉原、設立・昭和37年4月、営業種目・鉄骨工事、鉄工、機械組立、資本金・20000千円、従業員・40名、代表者・杉浦常一、役員・(取締役)越智千鶴子、杉浦三六、杉浦美作生、(監査役)三宅馨、大株主・杉浦常一、事業所・工場1カ所、仕入先・松栄商会、岡山日酸、高山産業、販売先・三井造船、三井造船鉄鋼工事、格付・B」とある[4]

出典

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  1. ^ a b c 週刊新潮、2014年7月3日号41頁より
  2. ^ a b 『日本プロ野球40年史』419頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月27日閲覧。
  3. ^ a b 身内の金銭トラブル発覚で杉浦太陽と辻希美夫妻に立ちこめる暗雲”. リアルライブ (2011年8月26日). 2024年11月27日閲覧。
  4. ^ 『東商信用録 中国版 昭和63年版』岡山県250頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月2日閲覧。
  5. ^ a b 杉浦太陽所属事務所に組員乱入!「父親に金貸している」”. スポニチ Sponichi Annex (2011年8月26日). 2024年11月27日閲覧。
  6. ^ ″理想の父親″杉浦太陽の父親が借金トラブル! 幸せ家族の裏に漂う不穏なムード[出典無効]Livedoor ニュース2010年4月6日記事

参考文献

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  • ベースボール・マガジン社編『日本プロ野球40年史』ベースボール・マガジン社、1976年。
  • 『東商信用録 中国版 昭和63年版』社東京商工リサーチ広島支社、1988年。

関連項目

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