杉山 六蔵(すぎやま ろくぞう、1890年1月4日 - 1947年6月6日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

杉山 六蔵
八雲艦長時代
生誕 1890年1月4日
日本の旗 日本 東京府
死没 (1947-06-06) 1947年6月6日(57歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1911年 - 1945年
最終階級 海軍中将
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経歴

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農商務省官吏・杉山栄蔵の五男として東京で生れる。鳥取中学校を経て、1910年7月、海軍兵学校38期)を次席で卒業し、翌年12月に海軍少尉任官。1917年11月、海軍水雷学校高等科を優等で卒業し、「天津風」乗組、オランダ駐在、「矢矧」水雷長、「夕暮駆逐艦長、「春風」駆逐艦長を経て、1924年11月、海軍大学校(甲種22期)を卒業した。

第6号駆逐艦」(早苗)艦長、海軍省軍務局(第1課)局員、第2艦隊参謀軍令部出仕、第1艦隊連合艦隊参謀、海大教官、「由良」艦長、「青葉」艦長、「八雲」艦長、「日向」艦長、第3艦隊参謀長などを歴任し、1936年12月、海軍少将に進級。支那方面艦隊兼第3艦隊参謀長、第11戦隊司令官、横須賀警備戦隊司令官、第18戦隊司令官などを歴任し、1940年11月、海軍中将となった。

海軍機雷学校長を経て、太平洋戦争第3遣支艦隊司令長官として迎えた。さらに、第3南遣艦隊司令長官としてフィリピン方面作戦を担い、艦政本部長、兼電波本部長を経て、最後の佐世保鎮守府司令長官となり、1945年11月、予備役に編入された。

1947年6月6日死去。死去後の11月28日公職追放仮指定を受けた[1]

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、69頁。NDLJP:1276156 

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。