本多重能
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本多 重能(ほんだ しげよし)は、越前丸岡藩の第2代藩主。初代藩主・本多成重の長男。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正18年(1590年) |
死没 | 慶安4年12月7日(1652年1月17日) |
戒名 | 光厳在心常然院 |
墓所 | 福井県坂井市丸岡町の本光院 |
官位 | 従五位下、淡路守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
藩 | 越前丸岡藩主 |
氏族 | 本多氏 |
父母 | 父:本多成重、母:土岐定政の娘 |
兄弟 | 重能、重看、重良、重方、娘(越前松平直良正室) |
妻 | 正室:大久保忠常の娘 |
子 | 重昭(長男)、娘(岩城重隆継室) |
来歴
編集父と共に徳川家康に仕え、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で戦功を挙げた。大坂夏の陣では丸岡城の留守居役を務めた。正保3年(1646年)5月19日、家督を継ぎ、弟の本多重看に3000石を分与した。慶安4年(1651年)12月7日、62歳で死去した。