木村庄之助 (9代)
大相撲の行司 (-1839)
9代 木村 庄之助(きゅうだい きむら しょうのすけ、? - 天保9年12月21日(1839年2月4日))は、大相撲の立行司。本名、出身地ともに不明。引退後に復帰して庄之助を再勤し、10代 木村 庄之助となった。
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基礎情報 | ||||
行司名 | 木村喜八 → 初代木村喜代治 → 5代木村庄太郎 → 9代木村庄之助 → 10代木村庄之助 | |||
没年月日 | 1839年2月4日 | |||
データ | ||||
現在の階級 | 引退 | |||
最高位 | 立行司(木村庄之助) | |||
引退 | 1834年10月、1839年2月4日 | |||
備考 | ||||
人物
編集7代庄之助の弟子で、のちに8代庄之助(のちの松翁)の養子になった。初名は木村喜八で初代木村喜代治から5代庄太郎を経て長くつとめたが、文政7年(1824年)に先代の引退によって9代目を襲名した。人格者で見識があり、裁きも秀でて名行司と伝えられた。
文政10年(1827年)、江戸幕府から相撲会所への問い合わせに対して、木村庄之助の先祖書(『相撲行司家伝』)を提出した[1]。
天保5年(1834年)10月まで9代庄之助として現役にあったが、義弟(8代庄之助の実子)の6代木村庄太郎に名跡を譲るべく一時現役を退き、隠居・木村瀬平となった。しかし、諸々の事情から天保7年(1836年)に復帰し、庄之助を再勤した(10代目として数えられる)。養父の木村松翁の次席であったが、同9年(1838年)暮れに現役で亡くなった。
参考文献
編集- 「相撲」編集部 編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年4月1日。ISBN 978-4583036403。 NCID BA51895886。
関連項目
編集脚注
編集- ^ 根間弘海「行司と草履」『専修経営学論集』第84巻、専修大学経営学会、2007年3月、185-218頁、doi:10.34360/00005395、ISSN 03864375、NAID 120006793253、2022年1月4日閲覧。