普寂(ふじゃく、651年永徽2年) - 739年10月1日開元27年8月24日))は、中国禅宗であり、神秀を継いで北宗の二祖となる。大照禅師。別名は華厳尊者。俗姓は馮。

普寂
651年 - 739年
諡号 大照禅師
尊称 華厳尊者、両京法主、三帝国師
生地 蒲州河東県
宗派 禅宗北宗
寺院 興唐寺
神秀
弟子 宏正道璿
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蒲州河東県に生まれる。法華唯識を学び、のち禅宗に転向し、荊州玉泉寺の神秀に師事する。中宗により、神秀の後を継いで両京の法主、三帝の国師に充てられる。法嗣は宏正(弘正)であるが、その他の弟子に最澄の師匠筋に当たる道璿ら多数がいる。

略歴

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  • 651年 蒲州河東県にて誕生
  • 688年 洛陽で受戒
  • 699年頃 神秀について嗣法
  • 700年 武則天が神秀を洛陽に召し、普寂を度す
  • 725年 玄宗の勅により洛陽の華厳寺(後に徳興唐寺)に止住する
  • 739年 示寂。春秋89

思想

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豊富な教学思想を背景に戒律を重視し、実践的な禅を確立して黄河流域で繁栄した。そのため、荷沢神会の非難を受けることとなった。

弟子

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宏正(弘正、法嗣)、同光700年 - 770年)、法玩715年 - 790年)、道璿701年 - 760年)、志空一行

伝記

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師:神秀禅宗北宗弟子:一行