旭堂左南陵
旭堂 左南陵(きょくどう さなんりょう)は、上方講談の名。幕末からある名前。当代は特に代数は振っていない。
「覗き梅鉢」は旭堂一門の定紋である。 | |
本名 | 久保 康利 |
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生年月日 | 1949年6月29日(75歳) |
出身地 | 日本・大分県佐伯市 |
師匠 | 岡本梅寿軒 三代目旭堂南陵 六代目一龍斎貞水 |
弟子 | 旭堂左燕 |
名跡 | 1.旭堂南京(1972年 - ?) 2.旭堂南鏡(? - 1980年) 3. 4. |
活動期間 | 1972年 - |
所属 | なみはや講談協会 |
備考 | |
なみはや講談協会会友 | |
旭堂 左南陵(きょくどう さなんりょう 1949年6月29日[1] - )は、大分県南海部郡(現:佐伯市)出身の講談師。本名:久保 康利。なみはや講談協会会友。
経歴
編集大分県立佐伯鶴城高等学校卒業後、東京でサラリーマンを1年間勤める(西濃運輸に勤務)。その後、大阪で浪曲の岡本梅寿軒の門下になる。後に音楽ショウ「あひる艦隊」に岡本浩の名で参加し1969年に初舞台。1972年に三代目旭堂南陵の門下で「南京」から「南鏡」と改名。一時東京の六代目一龍斎貞水の預かり弟子で講談組合に所属。1980年夏に真打に昇進し「
弟子
編集- 旭堂左燕(2023年5月入門、三重県出身)[2]
持ちネタ
編集- 赤穂義士伝
- 「南部坂、雪の別れ」「安兵衛婿入り」「高田馬場駆け付け」「俵星玄蕃」「梶川与惣兵衛、屏風回し」
- 太閤記
- 「本能寺の夜討ち」「高松陣払い(姫路の出陣)」「電撃桶狭間(信長の出陣)」
- 難波戦記
- 「真田幸村、大阪入城」「二条城の対面」
- 源平盛衰記
- 「宇治川の先陣争い」「那須与一、扇の的」
- 四谷怪談
- 「お岩様誕生」
- 寛政力士伝
- 「雷電の初土俵」
ほかに「酒井の太鼓(三方ヶ原軍記)」「勧進帳」「安倍の水馬(隅田川、誉の乗切り)」「伊達政宗、堪忍袋」「八丈島物語」「清正毒饅頭」など
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 東京かわら版『東西寄席演芸家名鑑2』P340より。
- ^ 登龍亭獅鉃 (2023年5月28日). “郡上ミニ落語会 ご来場ありがとうございます”. twitter. 2023年6月12日閲覧。
参考文献
編集- 「現代上方演芸人名鑑」(1980年、少年社)