日光脇往還
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日光脇往還(にっこうわきおうかん)は、江戸時代に八王子から日光まで、また鴻巣の追分まで、中山道と街道を同じくし、ここで分岐し袋村(埼玉県鴻巣市)・行田・上新郷(埼玉県羽生市)・利根川を川俣の渡しで越え、館林・佐野・栃木・今市と経て日光街道に合流する、1652年(承応元年)に往還に定められた街道である[1]。またの名は「日光裏街道」。
地図外部リンク | |
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日光脇往還・旧道地図 | |
全体図 江戸時代末期の旧道筋の地図。原則として明治初期に作成された陸軍迅速測図をベースとして作成。迅速測図範囲外の館林宿以北はWeb上の実踏調査報告に基づいて作成。 | |
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沿道では日光道、日光街道などとも呼ばれていたが、江戸と日光を結ぶ日光街道と区別するために、八王子街道(八王子道)、千人同心街道、日光火の番街道、館林道などとも呼ばれたが、沿道に残る遺構などでは日光街道とされているものが多いようである。その名の通り八王子千人同心の日光勤番への移動のために整備された街道である。
遺跡としては、埼玉県日高市から鶴ヶ島市にかけての国道407号は「日光街道杉並木」という名称で杉並木が残るほか、東京都西多摩郡瑞穂町の青梅街道との交点に「旧日光街道交差点」、東京都福生市の玉川上水に架けられた橋には「日光橋」などの名称が残っている。また、埼玉県坂戸市には日光街道の碑が建てられている。
宿場
編集- 八王子
- 拝島宿(東京都昭島市)
- 箱根ヶ崎宿(東京都西多摩郡瑞穂町)
- 二本木宿(埼玉県入間市)
- 扇町屋宿(埼玉県入間市)
- 黒須宿(埼玉県入間市)
- 根岸宿(埼玉県狭山市)
- 高萩宿(埼玉県日高市)
- 坂戸宿(埼玉県坂戸市)
- 高坂宿(埼玉県東松山市)
- 松山宿(埼玉県東松山市)
- 吹上宿(埼玉県鴻巣市)(中山道と交差、袋村・鴻巣宿・江戸方面)
- 忍宿(埼玉県行田市)
- 川俣宿(群馬県邑楽郡明和町)
- 館林宿(群馬県館林市)
- 天明宿(栃木県佐野市)(倉賀野方面)
- 富田宿(栃木県栃木市)
- 栃木宿(栃木県栃木市)
- 合戦場宿(栃木県栃木市)
- 金崎宿(栃木県栃木市)
- 楡木宿(栃木県鹿沼市、壬生方面)
- 鹿沼宿(栃木県鹿沼市)
- 文挟宿(栃木県日光市)
- 今市宿(栃木県日光市)
- 日光
現在の平行道路
編集開発などによって部分的にかつての道路が失われている区間も存在する。
- 国道16号(東京都八王子市 - 東京都西多摩郡瑞穂町)
- 埼玉県道・東京都道219号狭山下宮寺線(東京都西多摩郡瑞穂町 - 埼玉県入間市)
- 国道407号(埼玉県入間市 - 東松山市)(入間市河原町 - 狭山市根岸は国道299号と重複)
- 埼玉県道66号行田東松山線(埼玉県東松山市 - 行田市)
- 埼玉県道128号熊谷羽生線(埼玉県行田市、市街地の旧国道125号)
- 栃木県道・群馬県道・埼玉県道7号佐野行田線(埼玉県行田市 - 栃木県佐野市)(埼玉県羽生市上新郷 - 群馬県館林市諏訪町は国道122号、館林市新宿 - 同市緑町は国道354号と重複)
- 群馬県道・栃木県道67号桐生岩舟線(栃木県佐野市 - 栃木市)
- 栃木県道11号栃木藤岡線(栃木県栃木市)
- 栃木県道3号宇都宮亀和田栃木線(栃木県栃木市)
- 国道293号(栃木県鹿沼市)
- 国道121号(栃木県鹿沼市 - 日光市)
- 国道119号(栃木県日光市)
関連項目
編集脚注
編集- ^ 埼玉県坂戸市にある「旧日光街道の碑」の案内文に「承応元年(1652年)に日光脇往還に定められ」と書かれている
外部リンク
編集- 日光脇往還と道標|いるま歴史ガイド(入間市役所のサイト)