日の丸飛行隊 (ひのまるひこうたい) は、冬季オリンピックスキージャンプ・ワールドカップなどスキージャンプ競技の国際大会に於ける日本代表選手陣の愛称。

歴史

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元祖日の丸飛行隊(1972年札幌オリンピック)

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海外で発行された1972年札幌オリンピック記念切手にデザインされた笠谷幸生

1972年札幌オリンピックのスキージャンプ競技の70m級 (現在のノーマルヒル) において、日本のジャンプ陣3名(笠谷幸生金野昭次青地清二)が金、銀、銅のメダル独占の快挙を成し遂げ、自国開催のオリンピックに沸く日本中を熱狂させ[1][2]、NHKの中継では「さぁ、笠谷。金メダルへのジャンプ…飛んだ、決まった!見事なジャンプ!」との名実況が生まれ、子供たちの間では前傾姿勢をまねする「笠谷ごっこ」などが流行した。冬季五輪では日本人初の金メダル獲得となった笠谷は後に文化功労者の顕彰も受けるなど、スキー界だけでなく日本の冬季スポーツの世界に大きな影響を与えたとされる[3]

日本のスキージャンプの人気を確立した札幌オリンピック以降、冬季オリンピックやワールドカップ等で日本のジャンプ陣を日の丸飛行隊と呼ぶようになった[4]

1994年リレハンメルオリンピックシーズンまで

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札幌オリンピック後は1970年代後半から80年代前半にかけて八木弘和秋元正博が活躍。その後は低迷が続いたが、1988年カルガリーオリンピック直後からナショナルチーム入りした原田雅彦岡部孝信東輝葛西紀明らの登場で成績が再び上昇し、1992-93シーズンに葛西がW杯で日本人初の総合3位入賞を達成、原田と世界選手権ノーマルヒルで優勝を達成。1994年リレハンメルオリンピックの団体戦は、最終ジャンパー原田の失敗ジャンプによりドイツに逆転を許したものの、銀メダルを獲得した。

1998年長野オリンピックシーズンまで

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船木和喜

1995年世界選手権は岡部がノーマルヒルで優勝。一時期不振に陥っていた原田も復調し、1997年世界選手権ラージヒルで優勝。船木和喜も台頭し、1996-97シーズンのワールドカップは船木の総合3位を筆頭に3人がトップ10入りした。このように世界屈指の陣容となった日本代表チームは、1998年長野オリンピックではラージヒル団体で金メダル (岡部、斉藤浩哉、原田、船木)、ラージヒル個人で船木が金メダル、原田が銅メダル、ノーマルヒル個人で船木が銀メダルを獲得する大活躍を演じた。ワールドカップでも1997-98シーズンに船木が日本人最高 (当時) の総合2位に入り、同シーズンのスキージャンプ週間では日本人初優勝を達成した。W杯総合トップ10内には前述の船木を含め歴代最多となる4人の日本選手がランクインした。

2002年ソルトレイクシティオリンピックシーズンまで

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葛西紀明

翌年の1999年ノルディックスキー世界選手権でも団体で銀メダル、個人ノーマルヒルでは船木、宮平秀治、原田の3人で表彰台を独占、ワールドカップで葛西の総合3位を筆頭に、前シーズンに引き続き4人がトップ10に入るなど強さを見せた。しかし、翌シーズンからは長野五輪後に行われたルール変更への外国勢の対応、さらにその後のルール変更に対する日本の対応のまずさもあって、成績は徐々に下降線を辿るようになる[5]2002年ソルトレークシティオリンピックでは団体5位、個人では船木のラージヒル7位が最高という成績に終わった。

2006年トリノオリンピックシーズンまで

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2003年ノルディックスキー世界選手権では葛西の復活があり、3種目でメダルを獲得。

2006年、日本のジャンプについて当時、日本ナショナルチームヘッドコーチだったカリ・ユリアンティラは「フィンランドオーストリアなどのジャンプ強国と比べて踏み切りの技術が未熟でレベルが低い。日本の技術は1990年代後半までは良かったがその後のルール変更による対応が全くできていない。しかも若い選手が全く成長していない上に主力が世界の強豪国と比べてあまりにも高齢だ。私の目標はトリノオリンピックでのメダル獲得ではない。2007年札幌で行われるノルディックスキー世界選手権に向けて有望な若い選手を見つけることだ」と話した。トリノオリンピックでのメダル獲得が困難であることが明白であるにもかかわらず若い選手が育っていないため、岡部・葛西らの出場は早々に内定し、最終的には原田も選考された。そのため、フィンランド、オーストリアなどのジャンプ強国のマスコミの一部からは日の丸飛行隊が「高齢者集団」であることを皮肉って「ロートルジャパン」と呼ばれた。20歳の伊東大貴、16歳の伊藤謙司郎ら若手も代表に選ばれたものの、団体6位、個人では岡部のラージヒル8位入賞が最高で、メダルの獲得はならなかった。

2006年3月、長らく日本のジャンプ界を牽引してきた原田が引退。

2010年バンクーバーオリンピックシーズンまで

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2007年世界選手権2009年世界選手権では2大会連続で団体銅メダルを獲得。2007年大会は上位陣の失敗があったが、2009年大会は「今回は実力」と選手が語ったように、ユリアンティラの指導が浸透するとともに技術力の向上が見られ[6][7]、団体ではメダルを狙える位置につけた。しかし、2010年バンクーバーオリンピックでもメダルは獲得できず、日本勢の最高はノーマルヒルで伊東の15位、ラージヒルで葛西の8位、団体は5位に終わった。ユリアンティラは2010年3月31日をもって、日本ナショナルチームのヘッドコーチを辞任した。

2014年ソチオリンピックシーズンまで

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高梨沙羅

2011年世界選手権では女子選手の参加が初めて実現。2013年世界選手権では男女混合団体で金メダルを獲得した。ワールドカップ女子部門も2011-12シーズンに開始され、同シーズン高梨沙羅が日本勢女子でW杯初勝利をあげ総合3位、翌2012-13シーズンに男女通じて初の個人総合優勝を達成。

男子では2011-12シーズンに伊東大貴がW杯初勝利を含む4勝をあげて、総合4位となり日本勢で久々にトップ10入りした。

2013-14シーズンは葛西がワールドカップで史上最年長優勝を達成、好調のまま2014年ソチオリンピックを迎え、ラージヒルで長野オリンピック以来4大会ぶりとなる銀メダルを獲得。団体でも同じく4大会ぶりとなる銅メダルを獲得した。葛西は同シーズンから3シーズン連続でW杯総合トップ10入りし、自身が保有するW杯最年長表彰台記録を幾度も更新するなど40代にして全盛期に迫るパフォーマンスを見せた。女子はオリンピックではメダルの獲得はならなかったが、高梨がワールドカップで7連勝を含むシーズン15勝、全戦表彰台の記録を作るなど圧倒的な強さで総合2連覇を達成。伊藤有希も総合3位に入った。

2018年平昌オリンピックシーズンまで

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2015年世界選手権では女子ノーマルヒル個人で伊藤有希が銀メダル、混合団体で銅メダルを獲得。2017年世界選手権では女子ノーマルヒル個人で伊藤有希が銀メダル、高梨沙羅が銅メダル、混合団体で銅メダルを獲得。W杯では高梨沙羅が2015-16, 2016-17シーズンで総合連覇、伊藤有希が2016-17シーズンで総合2位。2018年平昌オリンピックではノーマルヒル個人で高梨沙羅が銅メダル獲得。男子は小林陵侑のノーマルヒル7位、ラージヒル10位が最高。団体は6位。

2022年北京オリンピックシーズンまで

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小林陵侑

2018-19年シーズンは小林陵侑がワールドカップ個人開幕戦で自身初の3位表彰台に立つと、翌週の個人戦第2戦第3戦で連勝し、史上3人目のジャンプ週間4戦全勝、史上5人目のスキージャンプワールドカップ6連勝をマークするなど総合優勝争いを独走した。世界選手権での個人メダル獲得こそならなかったものの、2009年大会以来の男子団体銅メダルを獲得した。上記ジャンプ週間、スキーフライング・ワールドカップ英語版ヴィリンゲンファイブドイツ語版Raw Airプラニツァ7英語版のワールドカップを兼ねた各種タイトル戦をすべて制覇した上で日本人男子初の総合優勝を達成した。小林陵侑以外にもシーズン序盤に調子が上がらない竹内択に代わって海外遠征メンバー入りした佐藤幸椰がワールドカップ個人戦で初表彰台、世界選手権の個人ノーマルヒルで7位に入る健闘をする一方、開幕から海外遠征メンバーに選出された中村直幹はシーズン通してワールドカップを転戦し続け、葛西紀明の成績を上回り、世界選手権の代表に選出されるなど若手の台頭や世代交代の兆しが見えたシーズンとなった。女子はエース高梨が前年度の平昌五輪同様総合3位で世界選手権に臨むも女子ノーマルヒル個人では6位に終わり、同種目で2大会連続で銀メダルを獲得していた伊藤も15位に沈み、今大会から急遽導入された女子団体は6位にとどまり3大会連続で獲得していた女子種目のメダルが途絶えた。高梨は世界選手権後総合順位を1つ下げ4位でシーズンを終えたが、女子ワールドカップが2011-12年シーズンから開始されて以来高梨が総合3位以内に入れなかったのは初であり、前年度総合4位だった伊藤も12位に後退し日本女子にとっては苦しいシーズンとなった。

2019-20シーズンは小林陵侑は3勝をあげてシーズン総合3位に入った。また、前シーズンW杯初表彰台を獲得した佐藤幸椰が初優勝を含む2勝をあげた。一方、女子では高梨が3月にシーズン初優勝 (通算57勝目)をあげて女子では史上初の通算表彰台獲得回数100回を達成したが、総合では2年連続の4位にとどまった。

2020-21シーズンは、コロナ禍により代表の入れ替わりが制限され、またワールドカップ札幌大会や蔵王大会が中止となったことから、遠征が男子は4か月半、女子は3か月半の長期にわたる異例のシーズンとなった。男子では、小林陵侑は序盤2桁順位が多かったが徐々に調子を上げ、優勝3回、2位2回で最終的には総合4位に浮上した。優勝回数は葛西紀明の17回を上回り、日本人男子としては最多の19勝に達した。また、佐藤幸椰は総合11位、佐藤慧一は初の開幕戦からの参戦で総合20位、中村直幹は総合34位と、それぞれ自己ベストを更新するシーズンとなった。一方女子では、高梨が好調で世界選手権前に3勝を挙げるなど、全13戦で9度の表彰台を獲得し、ヤンネ・アホネンの持つ通算表彰台獲得記録(108回)を超え109回となった[8]。世界選手権ではノーマルヒルで銅メダル、ラージヒルで銀メダルを獲得した。総合成績は高梨とニカ・クリジュナルマリタ・クラマーが11ポイント差以内で競うの接戦の末、高梨は2位となった。また、丸山希は総合11位で自己ベストを更新した。

2021-22シーズンもコロナ禍により国内のワールドカップが実施されないままオリンピックイヤーを迎えた。男子は小林陵侑が好調を維持し、ワールドカップ総合優勝と北京オリンピック個人種目で2つのメダルを獲得した。女子は高梨がワールドカップ総合5位、オリンピックの個人ノーマルヒルは4位であった。なお、オリンピック種目に初採用された混合団体競技でのメダルが期待されたが、日本を含む有力国で女子の失格者が相次ぎ[9]、日本は4位となった。このシーズンをもって伊東大貴が引退した。

2026年ミラノ・コルティナダンペッツォオリンピックシーズンまで

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2022-23シーズンはワールドカップが国内でも3シーズンぶりに開催された。男子はこの年のサマーグランプリ優勝などの実績を上げた二階堂蓮が代表に定着した。女子は伊藤が6シーズンぶりの優勝を果たし総合8位であった。伊藤が優勝した試合では丸山が自身初の表彰台となる2位、高梨が3位と女子ではワールドカップ初の表彰台独占を果たした。高梨はこの3位が最高位でワールドカップ開始以降初めて優勝を逃すシーズンとなった。世界選手権では小林陵侑が個人ラージヒルで銀メダルを獲得した。女子は伊藤がノーマルヒル6位、丸山がノーマルヒル8位、ラージヒル6位と健闘したが、高梨は個人ノーマルヒルのみでの出場となった。

2023-24シーズンは、男子のワールドカップ国別クオータの最大数が従来の6から5に減少し(コンチネンタルカップ上位組からの加配を除く)、各国とも代表の入れ替わりが激しい年となった。日本では、小林陵侑が3度目のジャンプ週間王者となり、優勝2回、2位10回などの成績で総合2位でシーズンを終えた。この他に二階堂、小林潤志郎の3名は固定されていたが、他の2枠は中村直幹、内藤智文竹内択、葛西、佐藤慧一が入れ替わることとなった。中でも葛西は札幌大会に国内枠で出場しながらもポイントを獲得し、その後遠征メンバーともなりさらにポイントを重ね、最年長出場、通算出場試合数といったギネス記録を更新することとなった。女子は伊藤が開幕戦を制するなど2勝し、総合4位でシーズンを終えた。

主な成績

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※8位以上を記載

※70m級:現在のノーマルヒル、90m級:現在のラージヒル

メダル獲得数

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大会・種目
オリンピック個人 3 5 3 11
オリンピック団体 1 1 1 3
合計 4 6 4 14
世界選手権個人 4 9 6 19
世界選手権団体 1 3 6 10
合計 5 12 12 29
スキージャンプ・ワールドカップ
男子個人総合 2 2 4 8
女子個人総合 4 3 3 10
フライング個人総合 1 6 2 6
Nations Cup 男子 3 3 3 9
Nations Cup 女子 2 3 4 9
その他
スキージャンプ週間個人総合 4 3 0 7
スキーフライング世界選手権 2 0 0 4
大会 男子ノーマルヒル
(70m級)
男子ラージヒル
(90m級)
女子ノーマルヒル 男子団体 混合団体
1972年札幌オリンピック
  日本
笠谷幸生  1位
金野昭次  2位
青地清二  3位
実施なし 実施なし 実施なし
1980年レークプラシッドオリンピック
  アメリカ合衆国
八木弘和  2位
秋元正博 4位
1992年アルベールビルオリンピック
  フランス
原田雅彦 4位 4位
葛西紀明
上原子次郎
須田健仁
原田雅彦
1994年リレハンメルオリンピック
  ノルウェー
葛西紀明 5位
西方仁也 8位
岡部孝信 4位
西方仁也 8位
 2位
岡部孝信
葛西紀明
西方仁也
原田雅彦
1998年長野オリンピック
  日本
船木和喜  2位
原田雅彦 5位
葛西紀明 7位
船木和喜  1位
原田雅彦  3位
岡部孝信 6位
 1位
岡部孝信
斉藤浩哉
原田雅彦
船木和喜
2002年ソルトレークシティオリンピック
  アメリカ合衆国
船木和喜 7位 5位
原田雅彦
宮平秀治
船木和喜
山田大起
2006年トリノオリンピック
  イタリア
岡部孝信 8位 6位
伊東大貴
一戸剛
葛西紀明
岡部孝信
2010年バンクーバーオリンピック
  カナダ
葛西紀明 8位 5位
伊東大貴
竹内択
栃本翔平
葛西紀明
2014年ソチオリンピック
  ロシア
葛西紀明 8位 葛西紀明  2位 高梨沙羅 4位
伊藤有希 7位
 3位
清水礼留飛
竹内択
伊東大貴
葛西紀明
2018年平昌オリンピック
  大韓民国
小林陵侑 7位 高梨沙羅  3位 6位
竹内択
伊東大貴
葛西紀明
小林陵侑
2022年北京オリンピック
  中華人民共和国
小林陵侑  1位 小林陵侑  2位 高梨沙羅 4位 5位
佐藤幸椰
中村直幹
小林潤志郎
小林陵侑
4位
高梨沙羅
佐藤幸椰
伊藤有希
小林陵侑
大会 男子ノーマルヒル
(70m級)
男子ラージヒル
(90m級)
女子ノーマルヒル 女子ラージヒル 男子団体 女子団体 混合団体
1966年オスロ大会
  ノルウェー
藤沢隆  2位 実施なし 実施なし 実施なし 実施なし 実施なし
1970年ヴィソケー・タトリ大会
  チェコスロバキア
笠谷幸生  2位
青地清二 7位
藤沢隆 6位
1974年ファルン大会
  スウェーデン
笠谷幸生 8位
1982年オスロ大会
  ノルウェー
90m級 8位
中津信雄
松橋暁
秋元正博
八木弘和
1985年ゼーフェルト大会
  オーストリア
90m級 6位
渡瀬弥太郎
佐藤晃
西方千春
秋元正博
1991年ヴァル・ディ・フィエンメ大会
  イタリア
東和広 5位
1993年ファルン大会
  スウェーデン
原田雅彦  1位
西方仁也 7位
原田雅彦 4位
葛西紀明 7位
LH 5位
須田健仁
岡部孝信
葛西紀明
原田雅彦
1995年サンダー・ベイ大会
  カナダ
岡部孝信  1位
斎藤浩哉  2位
西方仁也 7位
船木和喜 5位 LH  3位
安崎直幹
斎藤浩哉
西方仁也
岡部孝信
1997年トロンハイム大会
  ノルウェー
原田雅彦  2位
船木和喜 4位
斎藤浩哉 7位
原田雅彦  1位 LH  2位
船木和喜
岡部孝信
原田雅彦
斎藤浩哉
1999年ラムサウ大会
  オーストリア
船木和喜  1位
宮平秀治  2位
原田雅彦  3位
葛西紀明 5位
宮平秀治  3位
船木和喜 5位
原田雅彦 6位
LH  2位
葛西紀明
宮平秀治
原田雅彦
船木和喜
2001年ラハティ大会
  フィンランド
原田雅彦 5位 LH 4位
宮平秀治
吉岡和也
原田雅彦
葛西紀明
NH 4位
宮平秀治
岡部孝信
葛西紀明
原田雅彦
2003年ヴァル・ディ・フィエンメ大会
  イタリア
葛西紀明  3位
宮平秀治 4位
葛西紀明  3位
宮平秀治 5位
LH  2位
船木和喜
東輝
宮平秀治
葛西紀明
2007年札幌大会
  日本
LH  3位
栃本翔平
岡部孝信
伊東大貴
葛西紀明
2009年リベレツ大会
  チェコ
LH  3位
栃本翔平
岡部孝信
伊東大貴
葛西紀明
2011年オスロ大会
  ノルウェー
高梨沙羅 6位
渡瀬あゆみ 7位
NH 5位
湯本史寿
竹内択
葛西紀明
伊東大貴
LH 5位
竹内択
湯本史寿
葛西紀明
伊東大貴
2013年ヴァル・ディ・フィエンメ大会
  イタリア
竹内択 7位 高梨沙羅  2位 LH 5位
清水礼留飛
葛西紀明
伊東大貴
竹内択
NH  1位
伊藤有希
伊東大貴
高梨沙羅
竹内択
2015年ファルン大会
  スウェーデン
竹内択 5位 伊藤有希  2位
高梨沙羅 4位
LH 4位
小林潤志郎
伊東大貴
竹内択
葛西紀明
NH  3位
高梨沙羅
葛西紀明
伊藤有希
竹内択
2017年ラハティ大会
  フィンランド
伊藤有希  2位
高梨沙羅  3位
LH 7位
竹内択
小林陵侑
葛西紀明
伊東大貴
NH  3位
高梨沙羅
竹内択
伊藤有希
伊東大貴
2019年ゼーフェルト大会
  オーストリア
佐藤幸椰 7位 小林陵侑 4位 高梨沙羅 6位 LH  3位
佐藤幸椰
伊東大貴
小林潤志郎
小林陵侑
NH 6位
伊藤有希
岩渕香里
丸山希
高梨沙羅
NH 5位
伊藤有希
佐藤幸椰
高梨沙羅
小林陵侑
2021年オーベルストドルフ大会
  ドイツ
佐藤幸椰 7位 高梨沙羅  3位 高梨沙羅  2位 LH 4位
佐藤幸椰
中村直幹
佐藤慧一
小林陵侑
NH 4位
伊藤有希
勢藤優花
丸山希
高梨沙羅
NH 5位
伊藤有希
佐藤幸椰
高梨沙羅
小林陵侑
2023年プラニツァ大会
  スロベニア
小林陵侑  2位 伊藤有希 6位
丸山希 8位
丸山希 4位 LH 7位
中村直幹
小林潤志郎
二階堂蓮
小林陵侑
NH 5位
丸山希
勢藤優花
宮嶋林湖
伊藤有希
NH 5位
丸山希
中村直幹
伊藤有希
小林陵侑

スキージャンプ・ワールドカップ

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1979-1980シーズンより開始。2011-2012シーズンより女子部門が開始。

ワールドカップの開催地はヨーロッパが大半を占めるため、試合終了後に帰宅もできる欧州勢とは違い、日本勢はシーズンの大半でホテル暮らしをするというハンデがある。

個人総合トップ10

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シーズン 男子 女子 国別
1979-1980 八木弘和 4位
秋元正博 5位
男子  3位
1980-1981 --- ---
1981-1982 --- ---
1983-1984 --- ---
1984-1985 秋元正博 8位 男子 8位
1985-1986 --- ---
1986-1987 --- 男子 8位
1987-1988 --- ---
1988-1989 --- ---
1989-1990 --- ---
1990-1991 --- 男子 10位
1991-1992 葛西紀明 9位 男子 7位
1992-1993 葛西紀明  3位 男子  2位
1993-1994 葛西紀明 6位
岡部孝信 7位
西方仁也 8位
男子  2位
1994-1995 船木和喜 4位
岡部孝信 5位
男子  3位
1995-1996 原田雅彦 5位
斉藤浩哉 8位
男子  2位
1996-1997 船木和喜  3位
岡部孝信 4位
斉藤浩哉 5位
男子  1位
1997-1998 船木和喜  2位
原田雅彦 4位
斉藤浩哉 5位
葛西紀明 10位
男子  1位
1998-1999 葛西紀明  3位
船木和喜 4位
宮平秀治 5位
原田雅彦 9位
男子  1位
1999-2000 宮平秀治 10位 男子 4位
2000-2001 葛西紀明 4位 男子 4位
2001-2002 --- 男子 4位
2002-2003 --- 男子 7位
2003-2004 葛西紀明 8位 男子 5位
2004-2005 --- 男子 5位
2005-2006 --- 男子 6位
2006-2007 --- 男子 10位
2007-2008 --- 男子 8位
2008-2009 --- 男子 7位
2009-2010 --- 男子 8位
2010-2011 --- 男子 6位
2011-2012 伊東大貴 4位 高梨沙羅  3位 男子 5位
女子  3位
2012-2013 --- 高梨沙羅  1位 男子 6位
女子  3位
2013-2014 葛西紀明 5位 高梨沙羅  1位
伊藤有希  3位
男子 6位
女子  1位
2014-2015 葛西紀明 6位 高梨沙羅  2位
伊藤有希 5位
男子 5位
女子  2位
2015-2016 葛西紀明 8位 高梨沙羅  1位
伊藤有希 8位
男子 5位
女子  2位
2016-2017 --- 高梨沙羅  1位
伊藤有希  2位
男子 6位
女子  1位
2017-2018 --- 高梨沙羅  3位
伊藤有希 4位
男子 6位
女子  2位
2018-2019 小林陵侑  1位 高梨沙羅 4位 男子  3位
女子 4位
2019-2020 小林陵侑  3位 高梨沙羅 4位 男子 6位
女子  3位
2020-2021 小林陵侑 4位 高梨沙羅  2位 男子 6位
女子 4位
2021-2022 小林陵侑  1位 高梨沙羅 5位
伊藤有希 8位
男子 5位
女子  3位
2022-2023 小林陵侑 5位 伊藤有希 8位
高梨沙羅 10位
男子 6位
女子 5位
2023-2024 小林陵侑  2位 伊藤有希 4位
高梨沙羅 9位
男子 5位
女子  3位

表彰台登壇回数

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  • 2023-24シーズン終了時点。太字の選手は現役


団体表彰台一覧

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男子団体
シーズン 開催日 開催地 K点
HS
成績 メンバー
1992/93 1月24日   プレダッツォ K120 3位 葦本祐二 東輝 原田雅彦 葛西紀明
3月27日   プラニツァ K120 優勝(1) 岡部孝信 安崎直幹 原田雅彦 葛西紀明
1993/94 3月5日   ラハティ K114 準優勝 西方仁也 須田健仁 岡部孝信 葛西紀明
1994/95 1月28日   ラハティ K114 3位 安崎直幹 西方仁也 船木和喜 岡部孝信
1995/96 12月9日   プラニツァ K120 準優勝 西方仁也 須田健仁 斉藤浩哉 原田雅彦
2月23日   トロンハイム K120 準優勝 岡部孝信 渋谷潤 原田雅彦 斉藤浩哉
3月2日   ラハティ K114 優勝(2) 岡部孝信 西方仁也 原田雅彦 斉藤浩哉
1998/99 3月2日   ヴィリンゲン K120 優勝(3) 船木和喜 葛西紀明 宮平秀治 吉岡和也
1999/2000 3月18日   プラニツァ K185 3位 岡部孝信 船木和喜 宮平秀治 葛西紀明
2000/01 1月19日   パークシティ K120 優勝(4) 船木和喜 吉岡和也 原田雅彦 葛西紀明
2月2日   ヴィリンゲン K120 3位 船木和喜 吉岡和也 宮平秀治 葛西紀明
3月17日   プラニツァ K185 3位 宮平秀治 吉岡和也 原田雅彦 葛西紀明
2001/02 12月9日   フィラッハ K90 準優勝 吉岡和也 宮平秀治 葛西紀明 船木和喜
1月27日   札幌 K120 準優勝 宮平秀治 山田大起 葛西紀明 船木和喜
2003/04 3月6日   ラハティ K116 3位 東輝 伊東大貴 宮平秀治 葛西紀明
2010/11 11月27日   クーサモ HS142 3位 栃本翔平 葛西紀明 竹内択 伊東大貴
2011/12 11月27日   クーサモ HS142 準優勝 小林潤志郎 栃本翔平 竹内択 伊東大貴
2013/14 11月23日   クリンゲンタールドイツ語版 HS140 3位 伊東大貴 清水礼留飛 竹内択 葛西紀明
2014/15 11月22日   クリンゲンタール HS140 準優勝 清水礼留飛 伊東大貴 葛西紀明 竹内択
3月6日   ラハティ HS130 3位 栃本翔平 竹内択 伊東大貴 葛西紀明
2015/16 2月6日   オスロ HS134 3位 竹内択 作山憲斗 伊東大貴 葛西紀明
2月22日   クオピオ HS127 3位 竹内択 作山憲斗 伊東大貴 葛西紀明
2017/18 11月25日   ルカ英語版 HS140 3位 竹内択 小林陵侑 葛西紀明 小林潤志郎
2018/19 2月9日   ラハティ HS130 3位 佐藤幸椰 伊東大貴 小林潤志郎 小林陵侑
3月9日   オスロ HS134 準優勝 佐藤幸椰 葛西紀明 小林潤志郎 小林陵侑
2019/20 12月14日   クリンゲンタール HS140 3位 佐藤幸椰 伊東大貴 小林潤志郎 小林陵侑
2020/21 3月28日   プラニツァ HS240 準優勝 中村直幹 小林潤志郎 佐藤幸椰 小林陵侑
2021/22 1月9日   ビショフスホーフェン HS142 準優勝 佐藤幸椰 佐藤慧一 小林潤志郎 小林陵侑
1月15日   ザコパネ HS140 3位 佐藤幸椰 小林潤志郎 中村直幹 小林陵侑
2022/23 2月11日   レークプラシッド HS128 3位 中村直幹 小林陵侑(スーパーチーム)
女子団体
シーズン 開催日 開催地 HS 成績 メンバー
2017/18 12月16日   ヒンターツァルテンドイツ語版 108 優勝(1) 伊藤有希 岩渕香里 勢藤優花 髙梨沙羅
1月20日   蔵王 102 優勝(2) 岩渕香里 勢藤優花 伊藤有希 髙梨沙羅
2018/19 1月19日   蔵王 102 3位 伊藤有希 勢藤優花 岩渕香里 髙梨沙羅
2019/20 1月18日   蔵王 102 3位 伊藤有希 丸山希 髙梨沙羅 勢藤優花
混合団体
シーズン 開催日 開催地 HS 成績 メンバー
2012/13 11月23日   リレハンメル 100 準優勝 伊藤有希 渡瀬雄太 髙梨沙羅 竹内択
2013/14 12月6日   リレハンメル 100 優勝 伊藤有希 伊東大貴 髙梨沙羅 竹内択

スキージャンプ週間

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※総合3位以内を記述

※1971-72シーズンでは笠谷幸生が最初の3戦で優勝したが、オリンピック選考会のために最終戦を欠場し、総合優勝を逃した。

  • 1992-93シーズン - 葛西紀明  総合2位
  • 1994-95シーズン - 船木和喜  総合2位
  • 1997-98シーズン - 船木和喜  総合優勝
  • 1998-99シーズン - 葛西紀明  総合2位
  • 2018-19シーズン - 小林陵侑  総合優勝 (史上3人目の全勝優勝)
  • 2021-22シーズン - 小林陵侑  総合優勝
  • 2023-24シーズン - 小林陵侑  総合優勝 (史上9人目のシリーズ4戦で1勝もせず総合優勝)

スキーフライング世界選手権

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※3位以内を記述

メディア

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脚注

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外部サイト

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