新谷要二
新谷 要二(しんたに ようじ[1]、1911年(明治44年)2月26日[2][3] - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。山口県議会副議長[3][4]。千鳥水産代表取締役[2]。旭洋造船取締役[1]。山口県輸出スダレ協同組合理事長[2]。山口県漁業生産組合長[4]。下関漁港管理委員[1]。下関水産振興協会・山口県遠洋底曳網漁業協会下関支部各理事[3]。
人物
編集山口県萩市出身[1][2]。中央大学中退[2][注 1]。1951年、山口県議会議員に当選[2]。住所は山口県萩市唐樋町[2][5]。
家族
編集- 新谷家
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e 『下関市年鑑 1964年版』個人録325頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第18版 上』し75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月9日閲覧。
- ^ a b c 『防長年鑑 昭和45年版』人名鑑し413頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月9日閲覧。
- ^ a b 『防長年鑑 山口県大観 1968年版』17、276頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月9日閲覧。
- ^ a b 『産経日本紳士年鑑 第1版』し140頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “プロフィール”. 山口県議会議員 新谷和彦. 2024年2月9日閲覧。
- ^ a b “林芳正外相の“国家老県議”も「統一教会」系団体の会長だった”. 文春オンライン (2022年8月31日). 2024年2月9日閲覧。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第18版 上』人事興信所、1955年。
- 『産経日本紳士年鑑 第1版』産経新聞年鑑局、1958年。
- みなと新聞社編『下関市年鑑 1964年版』みなと新聞社、1963年。
- 防長新聞社編『防長年鑑 山口県大観 1968年版』防長新聞社、1967年。
- 『防長年鑑 昭和45年版』防長新聞社、1969年。