新田渉世
新田 渉世(にった しょうせい、1967年6月26日 - )は、神奈川県秦野市出身の元プロボクサー。1994年よりリングネームを新田 勝世(読み同じ)と改めた。現在は川崎新田ボクシングジム会長、日本プロボクシング協会理事、事務局長。
基本情報 | |
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本名 | 新田 渉世 |
階級 | バンタム級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1967年6月26日(57歳) |
出身地 | 神奈川県秦野市 |
スタイル | 右ボクサー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 34 |
勝ち | 23 |
KO勝ち | 17 |
敗け | 9 |
引き分け | 2 |
来歴
編集小学6年時に「あしたのジョー」を読みボクシングにあこがれる。高校3年で金子ボクシングジムに入門してボクシングを始め、横浜国立大学教育学部2年の1987年5月28日、プロデビュー。大学は6年かけて卒業。在学中の大学3年の10月に結婚し、子どももいたため子連れ国大生ボクサーとして知られた[1]。
1996年10月21日、呉張均が持つOPBF東洋太平洋バンタム級王座に挑戦しタイトル獲得。「国立大卒初の王者」として話題になった[2]。
1997年6月20日、高仁植相手に初防衛に挑むが敗退。この試合を最後に引退し渡米。
1999年に帰国しケンウッドに入社。
退社後の2003年2月、川崎市多摩区に新田ボクシングジムを設立。同ジムは2010年に「川崎新田ボクシングジム」と改称した[3]。
2004年、東日本ボクシング協会書記担当理事に就任。
2006年の黒田雅之[4]、2007年の岳たかはし、2008年の古橋大輔[5]と3年連続で新人王を輩出した。
2010年8月からは東日本ボクシング協会「暴力団等排除対策協議会の設立準備委員会」の委員長を務める[6][7]。また同じ8月から川崎新田ジムの所属選手はパトロール用のビブスを着用してジム所在地の多摩区を走る「防犯ロードワーク」を実践している[8][9]。
2006年5月、東日本ボクシング協会が設立した「袴田巌再審支援委員会」(会長輪島功一が委員長)の実行委員長をつとめる。
2011年より、全国組織の日本プロボクシング協会 袴田巌支援委員会委員長に就任。
2013年9月、日本プロボクシング協会理事、事務局長に就任。
2023年2月に、立教大学大学院スポーツウエルネス学研究科博士課程前期課程に合格し、同年4月より同研究科に在学[10]。
戦績
編集34戦23勝 (17KO) 9敗2分
脚注
編集- ^ 第7回 新田 渉世さん 横浜国立大学 2008年1月10日
- ^ 川崎初の世界王者だ!2・27黒田が挑戦 フロンターレ全面支援 スポーツニッポン 2012年1月11日閲覧
- ^ 「地域密着」を掲げ、ボクシングジム動き出す 神奈川新聞 2010年3月28日閲覧
- ^ MVPも獲得
- ^ 準決勝では片桐秋彦との同門対決を制した。
- ^ プロボクシング協会が暴力団排除へ動く 日刊スポーツ 2010年8月8日閲覧
- ^ 暴力団排除対策会の準備委メンバー発表 日刊スポーツ 2010年8月23日閲覧
- ^ ボクシングジムがロードワークで地域防犯、ゼッケンつけ街見回る 神奈川新聞 2010年7月31日閲覧
- ^ 川崎新田ジム ボクサーまち見張る ロードワークをパトロールに タウンニュース多摩区版 2010年8月6日閲覧
- ^ スポーツ報知 『川崎新田ジムの新田渉世会長が立教大大学院に合格 ボクシング界初の国立大王者が“ドクター会長”目指す』 2023年2月25日
著書
編集- 『リングが教室。』ポプラ社 2007年
関連項目
編集外部リンク
編集前王者 呉張均 |
第31代OPBF東洋太平洋バンタム級王者 1996年10月21日 - 1997年6月20日 |
次王者 高仁植 |