授翁宗弼
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧
授翁宗弼(じゅおうそうひつ、永仁4年(1296年)- 康暦2年/天授6年3月28日(1380年5月3日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。諱は宗弼、字は授翁。諡号は神光寂照禅師、円鑑国師、微妙大師。父は藤原宣房、万里小路藤房と同一人物とする説もある。
略歴
編集後醍醐天皇に仕えながら大徳寺の宗峰妙超に参禅し、宗弼という法名を授かった。建武の新政の際には後醍醐天皇を諫めたが受け入れられず、ひそかに洛北岩倉で不二大徳に師事して得度した。20年間隠遁した後、京都妙心寺の関山慧玄に参禅して延文元年(1356年)に印可を得る。関山慧玄唯一の法嗣として、妙心寺2世となった。天授6年3月28日(1380年5月3日)示寂。墓所は湖南市妙感寺。塔所は妙心寺天授院。法嗣に妙心寺3世無因宗因、同6世拙堂宗朴、同4世雲山宗峨、有隣徳、華蔵曇がいる。
参考文献
編集- 木村静雄『妙心寺 -六百五十年の歩み-』 昭和59年
- 川上孤山『妙心寺』 大正6年
- 禅学大辞典編纂所『新編禅宗大辞典』 昭和60年
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