戸田氏正

江戸時代後期の大名 (1814-1876)

戸田 氏正(とだ うじただ)は、江戸時代後期の大名美濃国大垣藩9代藩主。大垣藩戸田家10代。官位従四位下采女正従三位

 
戸田氏正
戸田氏正像
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文化10年閏11月18日1814年1月9日
死没 明治9年(1876年6月28日
別名 通称:新二郎
官位 従四位下采女正従三位
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶家定
美濃大垣藩
氏族 戸田氏(大垣藩主家)
父母 父:戸田氏庸、母:泰寿院(戸田氏養娘)
兄弟 宝子、氏正土井利順堀田正義北条氏久、通之助、青山幸哉室、庸貞戸田氏有室、大高喬度室、大高喬度継室、戸田氏寿室、氏永、定之助、芳之助、戸田氏範土井利忠継室
正室:島津重豪の10女・親姫
側室:薬師寺嘉衛門の娘・キテ
氏彬氏良氏共氏寛氏益久子丹羽長国正室)、鑑子、作子、キン、健、牧野貞久正室
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経歴

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文化10年(1813年)閏11月18日、8代藩主・戸田氏庸の長男として誕生。母は大垣新田藩主戸田氏養の娘・泰寿院。通称は新二郎。文政10年(1828年)6月27日、将軍徳川家斉に拝謁する。文政11年12月16日、従五位下伊賀守に叙任する。天保12年(1841年)5月7日、家督を継いだ。嘉永3年(1850年)12月16日、従四位下に昇進する。

開明的な藩主で洋学に興味を示し、佐久間象山勝海舟の門下生として藩士を多数送り込み、洋式学を学ばせた。また、城代の小原鉄心と協力して藩政改革に努め、大砲鋳造などの洋式軍制導入等、軍制改革を行なった。また、徳川斉昭と親しかった関係から、尊皇攘夷論に次第に傾倒していったという。

安政3年(1856年)10月25日、長男・氏彬に家督を譲って隠居した。戊辰戦争で朝敵になった際には小原鉄心を助けて尊王への藩論統一に務めた。明治3年6月8日、明治天皇に拝謁する。明治9年(1876年)6月28日、64歳で死去。

藩祖戸田一西以来の歴代当主と共に、大垣の常葉神社にて祭神として祀られている。実弟は狭山藩主・北条氏久(従五位下相模守)。父祖戸田氏鉄と共に明治42年(1909年9月11日、贈従三位

系譜

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 大垣市 編「第十一章 第九代戸田氏正公の治世」『大垣市史』 上巻、大垣市、1930年(原著1930年)。doi:10.11501/1209596NDLJP:1209596/360 
  2. ^ a b c 金子, 敦子「紙腔琴の歴史」『お茶の水音楽論集』特別号、お茶の水音楽研究会、2006年12月17日、ISSN 1344672X2020年1月29日閲覧 
  3. ^ 戸田氏共”. 『人事興信録』データベース. 2020年1月17日閲覧。