慕容 宣超[1](ぼよう せんちょう、生没年不詳)は、吐谷渾の首長。唐の青海国王。烏地野抜勤豆可汗。
慕容忠の子として生まれた。698年、慕容忠が死去すると、慕容宣超が青海国王の封を嗣いだ。700年、武則天により左豹韜員外大将軍とされ、烏地野抜勤豆可汗の号を受けた。涼州・甘州・粛州・瓜州・沙州などで吐谷渾の残部が唐に降ると、涼州都督の郭元振の提言により、慕容宣超兄弟が派遣されてその保護にあたった。後に慕容宣超は死去し、子の慕容曦光[2]が後を嗣いだ。
- ^ 『旧唐書』西戎伝は「宣趙」とする。
- ^ 両唐書は慕容曦皓が嗣いだとするが、墓誌の記述から長男の慕容曦光が嗣いだとみられる。
- 先代
- 慕容忠
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- 青海国王
- 第3代:698年 - ?
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- 次代
- ?
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