徳川 綱方(とくがわ つなかた)は、江戸時代前期の常陸国水戸藩の世嗣。官位正四位下左近衛権少将、采女正。

 
徳川綱方
時代 江戸時代前期
生誕 慶安元年3月2日1648年4月24日
死没 寛文10年1月22日1670年3月13日
改名 松千代(幼名)、右京、松平頼世(初名)、徳川綱方
官位 正四位下左近衛権少将
常陸水戸藩世嗣
氏族 高松松平家水戸徳川家
父母 松平頼重、万姫
徳川光圀
兄弟 綱方、糸姫、綱條、勝姫、松平頼考松平頼章松平頼直、竹松、長姫、彦姫、万姫、市姫、松平頼芳
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略歴

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讃岐国高松藩松平頼重の長男として誕生。母は古河藩土井利勝の娘・万姫。幼名は松千代、後に右京。初名は松平 頼世(まつだいら よりよ)。

叔父である徳川光圀は、兄である頼重を差し置いて水戸徳川家を継いだことを気にかけ、寛文3年(1663年)、兄の長男である頼世を養嗣子とした。頼世は同年に正四位下・左近衛権少将に叙任し、左衛門督と称される。寛文4年(1664年)、元服に伴い4代将軍・徳川家綱から偏諱を受けて綱方に改名した。しかし、家督相続前の寛文10年(1670年)に没した。代わって、同母弟の采女(綱條)が光圀の養嗣子となった。