彦根りんご
概要
編集彦根りんごの実はゴルフボールのほどの大きさで、縦より横が少し大きい扁平の形をしているのが特徴[1]。
歴史
編集1816年(文化13年)に彦根藩江戸詰めの役にあった石居泰次郎が5両を借入れ、林檎苗木200本・桐苗木150本を種苗として農園を営んだのが始まりである。彦根藩から将軍家や朝鮮通信使に献上されるなどして重宝されていた[2]。1930年(昭和5年)に廃園となったが、個人宅の庭では引き続き栽培されていた。西洋リンゴの普及や虫害等により1955年(昭和30年)ごろ市内中藪町の八木原太郎作の屋敷で栽培されていたものを最後に、彦根りんごの木は枯れて絶種となってしまった。
復活に向けての取り組み
編集彦根りんごを平成の世に復活させようと有志が集まり2004年(平成16年)1月に「彦根りんごを復活する会」が設立された。リンゴの産地である東北地方・長野県・石川県などから和りんごの穂木を譲り受け、マルバカイドウの台木に接ぎ木して往時の品種に近いりんごを栽培しようと試みており、2007年(平成19年)4月には花が開花、同年8月には第1回収穫祭が行われ、お盆にお供えされた。伊勢神宮や多賀大社にも奉納された。
彦根りんごに関する資料
編集- 「彦根の植物・ 彦根りんご 」村松七郎著
- 「彦根りんごの図」岡島正夫(画号名 徹州)画
- 「彦根りんご物語」彦根りんごを復活する会著
脚注
編集- ^ “中藪町の農園で「彦根りんごの収穫祭」 復活した和リンゴに触れる機会に”. 彦根経済新聞. (2022年8月3日) 2022年8月7日閲覧。
- ^ “復活の彦根りんご、小ぶりの実を収穫 かつては将軍家や朝鮮通信使に献上”. 京都新聞. (2021年8月10日) 2022年8月7日閲覧。