広谷俊二
来歴
編集北海道小樽市出身。父敏蔵は小樽市議、伯父は衆議院議員などを務めた山本厚三[1]。弁護士廣谷陸男は弟。学生時代から社会主義運動に参加し、1932年検挙されて旧制第二高等学校を中退。翌1933年に日本共産党に入党し、日本労働組合全国協議会(全協)小樽地方協議会を設立する。同年の全協4.25事件で検挙され懲役3年6ヵ月の刑に処せられる。出獄後、サラリーマン生活をしていたが、一方で地下活動をしていたため1943年予防拘禁される。
戦後、日本共産党の再建に尽力し、小樽合同労組委員長もつとめた。この間、1947年と1949年、1955年の総選挙で北海道第1区から共産党公認で立候補したがいずれも落選している。
1950年代の党分裂時、軍事闘争を指導した志田重男の配下にあったという。1955年の日本共産党第6回全国協議会に、党北海道地方委員会委員として参加。1963年、党中央青年学生対策部[2]。
著作
編集参考文献
編集脚注
編集- ^ “海運と倉庫 山本厚三 « そば会席 小笠原”. www.ogasawara.oswb.net. 2020年11月21日閲覧。
- ^ a b 『査問』、1997年、p.129-137
- ^ 平田勝『未完の時代 1960年代の記録』p187 花伝社 2020年
- ^ 国立国会図書館サーチ