平行義
平安時代中期の貴族。平親信の次男。従四位下・武蔵守
平 行義(たいら の ゆきよし)は、平安時代中期の貴族。桓武平氏高棟流、参議・平親信の次男。官位は従四位下・武蔵守。
時代 | 平安時代中期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 寛仁元年7月6日(1017年7月31日) |
官位 | 従四位下、武蔵守[1] |
主君 | 一条天皇→三条天皇→後一条天皇 |
氏族 | 桓武平氏高棟流 |
父母 | 父:平親信、母:源通理の娘 |
兄弟 | 重義、行義、理義 |
妻 | 致明の娘 |
子 | 範国、師季、行親 |
経歴
編集一条朝の長徳年間(995年-999年)但馬権守、長保年間(999年-1004年)武蔵守と地方官を務める。武蔵守以後の任官記録がなく[1]、散位であったと見られる。寛弘8年(1011年)一条上皇葬送の儀に参加した際の位階は五位であった。
三条朝の長和4年(1015年)禎子内親王の着袴の儀に於いて、左大臣・藤原道長に召し取らた際に横笛を一品式部卿・敦明親王に授ける。その演奏を聞いた右大臣・藤原顕光、大納言・藤原道綱は感涙したという[2]。長和5年(1014年)石清水祭臨時祭試楽に参じた際の位階は四位であった。
後一条朝の寛仁元年(1017年)6月12日に父・親信が疫病のため没すると、同年7月6日に行義も疫病により後を追うように卒去。
官歴
編集系譜
編集脚注
編集参考文献
編集- 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年