平山松治
日本の薬学者
平山 松治(ひらやま まつじ、1866年9月28日(慶応2年8月20日)[1] - 1925年(大正14年)7月23日[2])は、日本の薬学者。正四位勲三等[2]。薬学博士[2][3]。大阪衛生試験所長[2][3]。富山薬学専門学校校長[2][4]。族籍は大阪府士族[3][4]。
人物
編集美濃国(現岐阜県)出身[1]。平山耕雲の長男[3]。1890年、帝国大学医科大学薬学科を卒業[3]、薬学士の称号を得た[5]。京都府医学校教諭、衛生試験所技師等を歴任[4]。1904年、大阪衛生試験所長となる[1][4]。大阪市東区石町に居住[3]。
1913年5月、薬学博士の学位を授与される[2]。1921年、富山薬学専門学校長となる[4]。富山市鹿島町に居住[4]。1925年7月23日死去[2]。享年60[2]。遺族宅は東京市駒沢町上馬(現世田谷区上馬)[2]。
家族・親族
編集- 平山家
脚注
編集- ^ a b c 平山 松治とはコトバンク。2016年11月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『薬業年鑑 昭和10年』225頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第6版』ひ42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第7版』ひ50頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月10日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』第二十章 学士及卒業生姓名417頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月10日閲覧。
参考文献
編集- 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』東京帝国大学、1886-1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 大日本博士録編輯部編『学位大系博士氏名録 昭和10年版』発展社出版部、1931-1935年。
- 薬石日報社編纂『薬業年鑑 昭和10年』薬石日報社、1935年。
- 薬石日報社編『薬業年鑑 昭和14年度』薬石日報社、1938年。