平井将生

日本のサッカー選手

平井 将生(ひらい しょうき、1987年12月4日 - )は、徳島県徳島市出身の元プロサッカー選手ポジションフォワード

平井 将生
名前
愛称 ショーキ、浪速のアンリ
カタカナ ヒライ ショウキ
ラテン文字 HIRAI Shoki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1987-12-04) 1987年12月4日(37歳)
出身地 徳島県徳島市
身長 179cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW (ST)
利き足 右足
ユース
2003-2005 日本の旗 ガンバ大阪
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2013 日本の旗 ガンバ大阪 77 (23)
2012 日本の旗 アルビレックス新潟 (loan) 21 (0)
2014-2016 日本の旗 アビスパ福岡 88 (7)
2017-2018 日本の旗 ギラヴァンツ北九州 27 (2)
2018 日本の旗 FCマルヤス岡崎 (loan) 8 (0)
2019-2021 日本の旗 FCマルヤス岡崎 48 (8)
通算 269 (40)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

編集

地元の徳島県でサッカーを始め、高校進学の際プロサッカー選手になるべく、中学まで過ごした故郷の徳島を離れ、ガンバ大阪のユースチームでプレーするために単身大阪へと渡った[1]。ユース時代の3年次には前十字じん帯断裂という大怪我に見舞われるが、クラブは将来性と才能を見込んでトップ契約を結び、2006年ガンバ大阪ユースからトップチームに昇格。この年に同時に昇格した6人組(平井、安田理大横谷繁植田龍仁朗伊藤博幹岡本英也)にはクラブによって「G6」という愛称がつけられていた[2]

2007年ゼロックススーパーカップに出場したが、リーグ戦では出場機会を得られなかった。2008年にリーグ戦初出場を果たし、7月2日のナビスコ杯準々決勝横浜F・マリノス戦で公式戦初ゴールを挙げた。将来のエースストライカー候補としてクラブからの期待は大きく、2009年に5年間の長期契約を結んだ。

2010年は、開幕からFWのポジション争いに打ち勝ちレギュラーを掴むと、ACLグループリーグ第3節シンガポール・アームド・フォーシズ戦ではプロ入り初のハットトリックを達成し[3]、リーグ戦でもゴールを量産して得点王争いに加わり、チームトップ、日本人選手では前田遼一に次ぐリーグ5位タイの14得点を挙げる活躍を見せた。『Sports Graphic Number』2010年9月2日号では、トップスピードに到達するまでが早いと評された[1]。2010年のシーズン終了後には、アジアサッカー連盟に提出するAFCアジアカップ2011の日本代表予備登録メンバー50名にも選ばれた[4]

2011年3月29日に開催されたチャリティーマッチ「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」では、Jリーグ選抜として出場。同シーズンは外国人FWの起用により、出場機会が減少し、スタメン起用された試合でも途中交代になるケースが多く、僅か5得点に留まった。

2012年よりアルビレックス新潟期限付き移籍[5][6]。しかし新潟ではなかなか結果を出せずにチームも低迷。開幕当初は先発出場も多かったが次第に途中出場が多くなり、最終的にリーグ戦21試合に出場(うち先発4試合)して無得点に終わった。残留争いが佳境に入った25節以降の出場時間はわずか3分、30節以降の終盤4試合はベンチ入りメンバーからも外れた[7]。この成績から新潟社長の田村貢からも「今年のFW補強は失敗」と断言されるが、本人は「試合には出られなかったが充実していた」とコメントを残した[8]

2013年、ガンバ大阪に復帰。J2第2節長崎戦では2得点を決めたが、その後はスタメンに定着することはできず、終盤は控えメンバーから外れることが多かった。シーズン終了後、契約満了により退団[9]

2014年、アビスパ福岡へ完全移籍[10]。J1復帰後FWの軸として活動するも1年で降格となった際契約満了となる。

2017年、同じ福岡県内のギラヴァンツ北九州へ完全移籍[11]。しかし翌年は怪我もあり思うような活躍が出来なかったことから、7月にJFLFCマルヤス岡崎へ期限付き移籍[12]。シーズン終了後両クラブから岡崎へそのまま完全移籍となったことが発表された[13]

2021年12月、現役引退を発表[14]

人物・エピソード

編集
  • 徳島県出身であることから、ゴールパフォーマンス阿波踊りだが、大宮アルディージャのホームゲームで披露したところ、その試合の実況を担当したTBSアナウンサーの清水大輔が徳島県出身だと知らなかったのか「それは藤本のものだー!ここは大宮のホーム。なんと大胆な…」と実況されてしまった[15]
  • 2010年9月、タレントのもりちえみと結婚[16][17]
  • 好きな背番号は2007年に西野朗監督に与えられた「14」で[18]、メディアからは背番号にちなんで「浪速のアンリ」と呼ばれる[3]。福岡移籍1年目に「7」を背負ったが、当時背番号14だった金森健志が7番を希望しており、平井も14番を付けることを望んだため翌年から背番号が交換された[19]。北九州でも「14」を付けたが、当初期限付きの形で移籍した岡崎では「40」となった。

所属クラブ

編集
ユース経歴
プロ経歴

個人成績

編集
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006 G大阪 34 J1 0 0 0 0 1 0 1 0
2007 14 0 0 0 0 0 0 0 0
2008 8 0 1 1 1 0 10 1
2009 1 0 0 0 0 0 1 0
2010 30 14 2 0 4 2 36 16
2011 21 5 2 0 1 0 24 5
2012 新潟 21 0 6 2 1 0 28 2
2013 G大阪 J2 17 4 - 2 1 19 5
2014 福岡 7 42 3 - 1 0 43 3
2015 14 15 2 - 1 0 16 2
2016 J1 31 2 5 3 0 0 36 5
2017 北九州 J3 18 2 - 1 2 19 4
2018 9 0 - - 9 0
2018 マルヤス 40 JFL 8 0 - - 8 0
2019 14 27 7 - - 27 7
2020 7 0 - 3 1 10 1
2021 14 1 - - 14 1
通算 日本 J1 112 21 16 6 8 2 136 29
日本 J2 74 9 - 4 1 78 10
日本 J3 27 2 - 1 2 28 4
日本 JFL 56 8 - 3 1 59 9
総通算 269 40 16 6 16 6 301 52

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2006 G大阪 34 0 0 -
2008 14 1 0 0 0
2009 1 0 -
2010 4 4 -
2011 3 0 -
通算 AFC 9 4 0 0

その他の国際公式戦

タイトル

編集

クラブ

編集
ガンバ大阪

ギラヴァンツ北九州

FCマルヤス岡崎

個人

編集
  • Jリーグ優秀選手賞:1回(2010年)

代表・選抜歴

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c 浅田真樹「4年後の日本は彼らに託せ」 『Sports Graphic Number』2010年9月2日号、文藝春秋、2010年、雑誌26851・9・2、60頁。
  2. ^ G大阪イケメンユニット「G6」誕生!?”. なにわWEB 大阪日刊スポーツ新聞社 (2006年1月8日). 2008年12月4日閲覧。
  3. ^ a b 平井千金ハット!浪速のアンリついに覚せい スポニチ、2010年3月24日
  4. ^ SAMURAI BLUE(日本代表)アジアカップ2011カタール 予備登録メンバー
  5. ^ FW 平井将生選手 アルビレックス新潟へ期限付き移籍のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2011年1月12日
  6. ^ ガンバ大阪から平井 将生選手 期限付き移籍加入のお知らせ アルビレックス新潟オフィシャルサイト、2011年1月12日
  7. ^ Jリーグ公式記録
  8. ^ 新潟日報 12月2日 残留決定後の選手コメント、4日-6日連載「劇的残留」
  9. ^ 平井 将生選手 契約満了のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年11月28日
  10. ^ 平井 将生 選手 ガンバ大阪より完全移籍加入のお知らせ アビスパ福岡オフィシャルサイト、2014年1月11日
  11. ^ 平井 将生 選手 アビスパ福岡より完全移籍加入のお知らせ - 2017年1月4日 ギラヴァンツ北九州公式サイト
  12. ^ 平井 将生選手 期限付き移籍加入のお知らせ - 2018年7月30日 FCマルヤス岡崎公式サイト
  13. ^ 平井 将生選手 完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)マルヤス工業株式会社フットボールクラブ、2018年12月27日http://fc-maruyasu.jp/topics_detail1/id=7382019年1月2日閲覧 
  14. ^ 平井将生 選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)マルヤス工業株式会社フットボールクラブ、2021年12月14日http://fc-maruyasu.jp/topics_detail1/id=11642021年12月16日閲覧 
  15. ^ 平井 2戦連発!今度は邪魔されず阿波おどりパフォも披露 スポニチ、2011年6月26日
  16. ^ G大阪・平井ともりちえみが入籍スポーツ報知、2010年9月19日
  17. ^ 遅くなりましたが、、 平井将生オフィシャルブログ、2011年1月18日
  18. ^ 西野監督が最後の教え「さらにチャレンジしていけ」…G大阪 スポーツ報知、2011年12月7日
  19. ^ 2015年エルゴラッソ選手名鑑より

関連項目

編集

外部リンク

編集