平中興
平安時代前期の貴族・歌人。桓武平氏高棟流。平季長の長男。蔵人、正五位下、左衛門権佐、遠江守・讃岐守・近江守・美濃権守。子に平中興女(歌人、後撰新勅撰集等作者)
平 中興(たいら の なかき)は、平安時代前期の貴族・歌人。桓武平氏高棟流、右大弁・平季長の長男。光孝平氏、神祇伯・忠望王の養子。官位は従五位上・左衛門権佐。
時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 延長8年(930年) |
官位 | 従五位上・左衛門権佐 |
主君 | 醍醐天皇 |
氏族 | 桓武平氏高棟王流→光孝平氏 |
父母 | 父:平季長、養父:忠望王 |
子 | 元規、女子、大江朝綱室 |
経歴
編集昌泰元年(898年) 醍醐天皇の六位蔵人となる。昌泰3年(900年)養父・忠望王の譲りにより文章生に補せられ、少内記次いで大内記に任ぜられる。
延喜4年(904年)従五位下・遠江守に叙任されると、延喜10年(910年)讃岐守、延喜15年(915年)近江守と地方官を歴任し、同年には治国の功労により従五位上に昇叙されている。延喜19年(919年)左衛門権佐に任ぜられ京官に復すが、延喜22年(922年)美濃権守として再び地方官に転じた。
勅撰歌人として、『古今和歌集』『後撰和歌集』に2首ずつ、計4首の和歌作品が採録されている[1]。また、讃岐守時代に、大江朝綱の漢詩(「賦置酒如淮」)に感銘して、中興は自分の娘を娶らせたとされる[2]。
官歴
編集『古今和歌集目録』による。