市橋 保雄(いちはし やすお、1920年大正9年〉12月3日[1] - 1984年昭和59年〉11月8日[2])は、日本政治家新潟県両津市(現・佐渡市(3期)。

市橋保雄
いちはし やすお
生年月日 (1920-12-03) 1920年12月3日
出生地 日本の旗 日本 新潟県
没年月日 (1984-11-08) 1984年11月8日(63歳没)
出身校 東京外国語学校卒業
(現・東京外国語大学
前職 新潟県立新潟高等女学校教諭
所属政党 無所属

当選回数 3回
在任期間 1974年12月7日 - 1983年12月6日

両津市議会議長

両津市議会議員
当選回数 4回
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経歴

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新潟県出身。新潟県立佐渡中学校(現・新潟県立佐渡高等学校)を経て[1]1941年、東京外国語学校(現・東京外国語大学)卒[1]。翌年、陸軍に入隊し、中尉で終戦を迎える[1]。その後は県立新潟高等女学校(現・新潟県立新潟中央高等学校)教諭となり[1]1962年、両津市議会議員に当選し、4期務め、議長も務めた[1]1974年、両津市長に当選、1978年1982年と続けて再選した[3]。3回目の当選の翌年の1983年に市長を辞職した。

1984年(昭和59年)11月、肝硬変肝不全を併発し死去した。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、116頁。
  2. ^ 『新潟県年鑑 1986年版』685頁。
  3. ^ 両津市(新潟県):政治データのブログ

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。
  • 『新潟県年鑑 1986年版』新潟日報社、1985年。