崔熙墉
大韓民国のプロボクサー
(崔煕庸から転送)
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
崔 熙墉(チェ・ヒヨン、朝: 최희용、英: Hi Yong Choi、1965年9月13日 - )は、大韓民国の元プロボクサー。名の本来の漢字表記は「崔熙墉」[1][2]であるが、日本語文献では「崔煕庸」[3]も用いられている。元WBA世界ミニマム級王者。元WBA世界ライトフライ級王者。世界2階級制覇王者。
基本情報 | |
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本名 | Hi Yong Choi |
階級 | ライトフライ級 |
身長 | 164cm |
国籍 | 韓国 |
誕生日 | 1965年9月13日(59歳) |
出身地 | 大韓民国 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 21 |
勝ち | 19 |
KO勝ち | 8 |
敗け | 2 |
来歴
編集1987年7月18日、プロデビュー。
1988年4月10日、4戦目でOPBFミニマム級王座獲得。2度の防衛に成功。
1991年2月2日、10戦目で世界初挑戦。同じ韓国人のWBA世界ミニマム級王者金奉準に挑み、12回判定勝ち。世界王者となった。金とは10月26日の2度目の防衛戦でも対戦し、ここでも12回判定勝ちを収めた。その後、防衛回数を4に伸ばした。
1992年10月14日、5度目の防衛戦(初の韓国外での試合)。東京・両国国技館で大橋秀行と対戦し、12回判定負けで王座から陥落した[4]。その後、1年余りリングから遠ざかる。
1995年2月4日、世界再挑戦。WBA世界ライトフライ級王者レオ・ガメス(ベネズエラ)に挑み、12回判定勝ちで2階級制覇を達成した。9月5日には大阪・大阪府立体育会館で山口圭司を相手に初防衛戦を行い、12回判定勝ちを収めた[4]。
1996年1月13日、2度目の防衛戦。アメリカでカルロス・ムリーリョ(パナマ)と対戦したが、12回判定負けで王座陥落。この試合を最後に引退した。
獲得タイトル
編集脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 최희용(崔熙墉) - 한국권투위원회 (韓国拳闘委員会, KBC)
- 최희용(崔熙墉) - 한국권투연맹 (韓国拳闘連盟, KBF) - ウェイバックマシン(2016年10月24日アーカイブ分)
- 崔熙墉の戦績 - BoxRec
前王者 金奉準 |
WBA世界ミニマム級王者 1991年2月2日 - 1992年10月14日 |
次王者 大橋秀行 |
前王者 レオ・ガメス |
WBA世界ライトフライ級王者 1995年2月4日 - 1996年1月13日 |
次王者 カルロス・ムリーリョ |