崎山次郎右衛門
江戸時代前期の漁師
崎山 次郎右衛門(さきやま じろうえもん、慶長16年(1611年) - 貞享5年8月4日(1688年8月29日[1]))は、江戸時代前期の漁師。名は安久[2]。屋号は大納屋[2]。
経歴・人物
編集地元紀州で漁業を営んでいる際、海難に遭い、下総国海上郡飯沼村や高神村の人々に助けられる[3]。助けられた恩返しから明暦2年(1656年)飯沼村に移り住み、マカセ網漁と呼ばれる漁法でイワシ漁を始め、万治元年(1658年)と寛文元年(1661年)の2期にわたって高神村の外川浦に港を造る(外川漁港)[2][4]。また、次郎右衛門は故郷から多くの漁師を呼び寄せ、漁業と海運を営み、当時の盛況ぶりは「外川千軒大繁昌」と語り継がれている[4]。延宝3年帰郷し、貞享5年8月4日(1688年8月29日)没[2]。外川の大杉神社境内に碑が奉られている[3]。