山田 肇(やまだ はじめ、1907年8月23日 - 1993年8月17日)は、日本演劇学者、舞台演出家明治大学名誉教授。

スタニスラフスキーの翻訳で知られ、岸田国士戯曲賞選考委員を発足時から務めた。

来歴

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東京府東京市牛込区(現:東京都新宿区)に医師の長男として生まれる。1929年に第一高等学校を卒業して、東京帝国大学に進み、1932年に東京帝国大学文学部美学科を卒業した。

大学在学中から心座に関わり、新興劇団協議会書記局員、鏑木清方の長女と結婚、杉山誠と親交を結んだ。1938年から明治大学で西洋演劇を教え、1945年に文芸科兼任教授に就任する。

1946年に新演劇人協会事務局長となる。1947年に木下順二らの「ぶどうの会」に参加。1948年には築地小劇場代表取締役となった。

1949年、新たに明治大学文学部が創設し教授。

1955年、ガルシーア・ロルカの『ベルナルダ・アルバの家』を岡倉士朗と演出した。1961年にぶどうの会を脱退し「劇団風」を旗揚げする[1]

1969年から1973年まで、明治大学人文科学研究所所長を務める。1978年に明治大学を退職し、名誉教授となった。

1993年8月17日に死去。85歳没。

著書

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  • 『近代劇』(至文堂、日本文学教養講座) 1951
  • 『スタニスラフスキイ モスクワ芸術座のたましひ』(弘文堂、アテネ文庫) 1951
  • 『近代劇十二講』(未來社) 1953
  • 『山田肇演劇論集』(白凰社) 1995.7

編・解説

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翻訳

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  • 『俳優修業』(スタニスラフスキイ、道統社) 1943、創元社 1951
  • 『俳優の仕事』(ラポポルト、未來社、てすぴす叢書) 1952
  • 『俳優の創造』(スダコフ、未來社、てすぴす叢書) 1952
  • 『演出の原理』(ザハーヴァ、未來社、てすぴす叢書) 1952
  • 俳優修業』第1・2部(スタニスラフスキイ、未來社) 1954 - 1956
  • 血の婚礼』(F・ガルシア・ロルカ天野二郎共訳、未來社、てすぴす叢書) 1954
  • 『ベルナルダ・アルバの家』(ガルシア・ロルカ、未來社、てすぴす叢書) 1956
  • ブレヒト政治的詩人の背理』(マーティン・エスリン、木桧禎夫, 山内登美雄共訳、白凰社) 1963

脚注

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  1. ^ 『劇団協議会月報』12月号、劇団協議会幹事会、1965年、8頁。