尹斗寿
尹 斗寿(ユン・ドゥス、朝鮮語: 윤두수、1533年 - 1601年[1])は、李氏朝鮮時代の文臣、性理学者[1]。本貫は海平尹氏[2]。
尹 斗寿 | |
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生誕 | 1533年 |
死没 | 1601年 |
職業 |
文臣 性理学者 |
子供 | 尹昕 |
尹 斗寿 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 윤두수 |
漢字: | 尹 斗寿 |
発音: | ユン・ドゥス |
概要
編集李氏朝鮮の領議政、左議政、右議政などの要職を歴任する[1]。
朝鮮を征服して箕子朝鮮を建国した中国殷王朝の政治家箕子に関する中国史料を蒐集して『箕子志』を編纂し、箕子を顕彰した[3]。
家族
編集丙子の乱の際、清を蛮夷だとして、主君である中華の天子の忠実な諸侯として、また中華帝国のもっとも忠実な模範属国として、明に誠心誠意仕えることを主張し、清との講和に強硬に反対、主戦論を支持した[4]李氏朝鮮の文臣・政治家の尹昕は次男。尹順之は孫。
著書
編集- 『箕子志』
- 『成仁錄』
- 『平壤志』
- 『延安志』
脚注
編集- ^ a b c “윤두수 尹斗壽,1533~1601”. 斗山世界大百科事典 2022年6月26日閲覧。
- ^ “윤두수(尹斗壽)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年8月20日閲覧。
- ^ 簡江作『韓國歷史與現代韓國』台湾商務印書館、2005年8月1日、3頁。ISBN 9789570519891 。
- ^ 李太平 編『李王朝六百年史』洋々社、1968年1月1日、152頁。
- ^ “대통령·장관·서울대총장…대이어 ‘지배 엘리트’” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2009年8月14日). 2023年10月28日閲覧。