小早川潔
日本の教育者
小早川 潔(こばやかわ きよし、安政5年5月2日(1858年6月12日) - 昭和2年(1927年)3月19日)は、日本の教育者。
生涯
編集信濃国上田城下に上田藩士小早川維祺の次男として生まれる。明治11年(1878年)上田町常入学校首席訓導となり、上京して同人社で英学、原要義塾で数学を学び、同17年(1884年)東京高等師範学校中学師範科を卒業。長野県上水内中学校(長野県長野高等学校)校長に任命される。この頃、教育職能団体である「長野教育談会」が創設され、組織を改正し、長野教育会(信濃教育会の前身)となると、会長に選ばれた。同19年(1886年)長野県師範学校教諭に転任し、校長浅岡一を補佐し、新校舎の建築や付属小学校の開校に尽力した。
同21年(1888年)鳥取県尋常師範学校教諭、同24年(1891年)には校長に任命される。同28年(1895年)には茨城県師範学校校長、同20年(1897年)岩手県師範学校校長を歴任し、同年従七位に叙せられる。同33年(1900年)鳥取県視学官として教育行政に尽力し、同38年(1905年)長野県視学官に転任し、官制改正に伴い長野県事務官第二部長となる。同40年(1907年)に退官し、滋賀県立彦根中学校(滋賀県立彦根東高等学校)校長に就任し、旧来の宿弊を一新して校風を刷新した。大正9年(1920年)帰郷し、上田尋常高等小学校長、上田実科高等女学校長に就任、同12年(1923年)勲四等瑞宝章に叙せられ、同13年(1924年)に退職した。
参考文献
編集- 「長野県教育史 第1巻」長野県教育史刊行会 1978年. NCID BN02858466
- 「長野師範人物誌」信濃教育会 1986年ISBN 978-4783910152
- 「明治聖代教育家銘鑑」教育実成会著1912年. NCID BN10819958
公職 | ||
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先代 (新設) |
長野県上田実科高等女学校長 1920年 - 1924年 |
次代 斎藤節 |
先代 細川文五郎 滋賀県県立第一中学校長 |
滋賀県立彦根中学校長 1908年 - 1917年 滋賀県県立第一中学校長 1907年 - 1908年 |
次代 春日重泰 |
先代 村上孚光 岩手県尋常師範学校長 |
岩手県師範学校長 1898年 - 1900年 岩手県尋常師範学校長 1898年 |
次代 高橋均 |
先代 越智直 |
茨城県尋常師範学校長 1895年 - 1897年 |
次代 大田義弼 |
先代 松村秀真 |
鳥取県尋常師範学校長 1891年 - 1895年 |
次代 三橋得三 |
その他の役職 | ||
先代 (新設) |
長野教育会会長 1885年 - 1886年 |
次代 肥田野畏三郎 信濃教育会会長 |