小川 平四郎(おがわ へいしろう、1916年3月17日 - 1997年7月25日)は、日本外交官、駐中華人民共和国大使[1]。父親は小川平吉

小川平吉一家の写真。後列の右から2番目にいるのが小川平四郎。

人物

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小川平吉の四男として、東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)に生まれる。1933年東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。1942年東京帝国大学卒業。

1939年外務省に入省し、間も無く中国語研修生として北京に渡り輔仁大学で学び、戦後は香港日本総領事やアジア局長などを務めるなど、外務省チャイナスクールの第一人者[2]

1968年11月13日から1972年1月11日まで第6代駐デンマーク日本大使を務め[3]1973年3月31日には、初代駐中華人民共和国日本大使に就任し、1977年7月4日まで務めた。なお、1997年7月25日、東京心臓病により没した(享年81)。

家族

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著書

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  • 小川平四郎 (1990年). 父の中国と私の中国: 書が語る日中の百年. ISBN 9784377408690  - 伝記
  • 小川平四郎 (1977年11月). 北京の四年―回想の中国 (1977年). ISBN 9784377303797 [5]

関連項目

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出典

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  1. ^ 小川平四郎・駐中国大使 | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)”. 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC). 2020年11月19日閲覧。
  2. ^ 「外務省研究-日本外交 失態・実態と実績分析」永野信利著 サイマル出版
  3. ^ 大使のサイト”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2020年11月19日閲覧。
  4. ^ 戦後日本外務省内の「政治力学立命館大
  5. ^ 北京の四年 回想の中国”. 2020年11月19日閲覧。

外部リンク

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