小島田町 (前橋市)
小島田町(こじまたまち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は379-2162[2]。2013年現在の面積は0.6km2[4]。
小島田町 | |
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北緯36度22分16秒 東経139度8分10秒 / 北緯36.37111度 東経139.13611度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 群馬県 |
市町村 | 前橋市 |
面積 | |
• 合計 | 0.6 km2 |
人口 (2017年(平成29年)8月31日現在)[1] | |
• 合計 | 420人 |
• 密度 | 700人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
379-2162[2] |
市外局番 | 027[3] |
ナンバープレート | 前橋 |
地理
編集桃ノ木川左岸に位置している。
河川
編集- 桃ノ木川
歴史
編集戦国時代頃からある地名である。江戸時代になると前橋藩領だった。
年表
編集- 戦国時代 - 「大胡庄之内・・・小嶋田村」の名が山内上杉氏所領として「上州之内 持分之事」(「彦部文書」)に見える[5]。
- 天正18年(1590年) - 平岩親吉が前橋城主となり、以後小島田は江戸時代を通じて前橋藩領だった[6]。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、小島田村は天川大島村、上大島村、女屋村、上長磯村、東上野村、野中村、下長磯村、小屋原村、下大島村、笂井村、上増田村、下増田村、駒形新田と合併し南勢多郡木瀬村が成立する。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
- 昭和32年(1957年)
地名の由来
編集昔、利根川がこの辺りを流れていた頃、小島田の集落に西から行くには利根川を渡って行かなければならなかった。その際「腰まで」着物をまくり上げて渡ったことから、「コシマデ」が変化して「コジマタ」になったという[7]。
世帯数と人口
編集2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
小島田町 | 151世帯 | 420人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 前橋市立永明小学校 | 前橋市立木瀬中学校 |
交通
編集鉄道
編集鉄道駅はない。
バス
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道路
編集国道は国道50号が通っていて、県道は群馬県道40号藤岡大胡線が通っている。
施設
編集出典
編集- ^ a b “人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2017年9月5日). 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 第2章 人口 - 前橋市 2017年04月04日閲覧
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 52–53.
- ^ 前橋市史編さん委員会 1973, p. 1039.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 862.
- ^ “前橋市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 前橋市 (2017年4月24日). 2017年9月16日閲覧。
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 413.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 425.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 46–47.
- ^ a b “市指定文化財一覧|前橋市”. www.city.maebashi.gunma.jp. 2024年7月30日閲覧。
- ^ 実際には延徳4年に明応に改元されている。
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 48.
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。
- 木瀬村誌編纂委員会『木瀬村誌』1995年9月20日(原著1995年9月20日)。doi:10.24484/sitereports.101883。 NCID BN1378655X 。
- 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。
- 前橋市史編さん委員会『前橋市史』 2巻、前橋市、1973年8月1日。